全裸の時間

全裸で60分、水に浮かんだ。光を断ち、音を断ち、水に浮かんだ。8000円払って、水に浮かんだ。

人呼んでこれをアイソレーションタンクと言う。外界から完全に断絶された水槽内でただただ浮かぶ時間は至高の贅沢だったのでその体験記を残しておきたい。

 

訪れたのは高円寺のマンションの一室にある鍼灸マッサージ治療院。導かれるまま靴を脱いで上がると中には部屋が2つあり、一方は施述で使うベッドやマットが、もう一方にはドカンとテントのような巨大な山が横たわっていた。このテントこそアイソレーションタンクそれなのであった。

 

オーナーから一通りの説明を受けたのち「それではごゆっくりお楽しみください」という一言と共にタンクの部屋で一人となる。どこか日本庭園風に砂利と飛石が敷き詰められひんやりとした床の上でいそいそと服を脱ぎ、シャワー室に入って全身を洗う。生まれたままの姿で飛石を渡って戻り、タンクの前に立つ。室内の電気を全て落とし、完全な暗闇が訪れる。先ほどまで微かに流れていたヒーリングミュージックもいつの間にか消えて室内を静けさが包んでいる。手探りで一歩、一歩とタンクの中に足を入れる。絶妙にコントロールされた水温は冷たくも暖かくもなく自然に肉体を受け入れてくれる。水深20センチほどの硫酸マグネシウム溶液の世界に思い切って体を預けてみると、いとも簡単に体が持ち上げられいよいよ浮遊時間が始まる。

 

やっべ、俺これ全然向いてないかもしれない。

 

最初に抱いた感想だった。タンクに浸かる前、ワタナベはどこか頭の片隅で、自らに魔法が起こるかのような、奇跡的な体験を期待していた。無光無音の環境で水に浮きさえすれば勝手にトランス状態に陥るものだとタカを括っていた。しかし現実世界で生じている現象はただ一人の全裸男性が真っ暗の中で水に浮かんでいる、それだけのことだった。しかも溶液が身体中の小さな傷にしみる。暗い、狭い、痛い、言う人に言わせれば拷問とも取れる三重苦が揃っていた。

参った。60分も耐えれる気がしない。そんな雑念と不安でいっぱいの開始時だったが、60分が終わってみると驚いたことに当初の懸念は嘘のように吹き飛び、それこそ魔法のような時間を楽しんでいる自分がいた。

 

60分の体験は大きく三段階、「体も心も五月蝿い時間」「心が五月蝿い時間」「完全な静寂」に分けることができた。

 

体も心も五月蝿い時間は、とにかく身体中の痛みに耐えた。ちょっとした虫刺され、昨晩掻きむしった膝の裏、身体中のあらゆる小さな傷が溶液に刺激されチクチクと疼く。それに呼応するように心は「あーいてーいてーよー」と喧しく騒ぎ立てる。無視をしようにもその痛みが外界からの唯一の刺激であるため否が応でも意識が向かってしまう。暗闇と、痛みと、私。無音と、痛みと、私。無臭と、痛みと、私。五感を遮られることの威力をこれでもかと思い知る。微かな音でも、匂いでも、何でもいいから、痛み以外に意識を向ける対象をくれと切に願う。

そんなことを思っている内に傷口は麻痺し、痛みが遠のいて行く。これをもって体に静けさが訪れる。

 

次に心だけが一人取り残され、騒ぎ立てる時間がやってくる。「あー俺ただ浮いてるだけだなー特に何も起こらないなー首の角度が違うのかなー体に力入ってるのかなー深呼吸とかした方がいいのかなーなんかコツとかあるのかなー」とひっきりなしに思考が生まれては消えていく。痛みを失った今、本格的に外界からの刺激がゼロとなり、意識は拠り所を失ってソワソワ落ち着かない。何か心地良い刺激はないものかと思わず体をゆっくり左右に揺すってみる。自分を囲む水面に波を感じる。刺激だ!あまりの心地よさにしばらくそのまま体をくねらせ、微かな波に体を晒す状況を自発的に作り出す。刺激だ、刺激だ。波気持ち良い。その動きは次第に形を変え、最後は水槽内の往復運動に至る。万歳の姿勢で頭上の壁をそっと押す。慣性に従う身体はじわじわと足の方へ流れ、つま先が反対の壁に触れる。今度は足元の壁をそっと蹴ってまた頭上に流れ戻る。これはフローティングタンクの正しい使い方ではないだろうなという確信がありながらも、壁との接触という刺激が絶妙に心地よかった。

壁に触れていない時間は宇宙に浮かんでいるようだった。壁を離れてから反対に到るまでのものの3秒ほどの時間は永遠とも思えるほど長く不安だった。視界は動かず、音も生じず、風や波を感じることもない状態では自分がどこを向いて、どこに向かっているか一切の手がかりが無い。壁を離したその瞬間に無の中に放り出され、自分が本当にもう一方の壁に近づいているかも分からなくなる。つま先は永遠に壁に触れることがないかもしれないという不安に襲われる。すると突然無の中から壁が現れ、数平方センチメートルという僅かな接触点が自分を現実世界に引き戻す。惜しむ間も無く壁を蹴り、再び自らを宇宙空間へ投げ出す。

この現実と宇宙の行き来を繰り返すうちに、遂に心は平穏に至った。

 

最後の時間は意識はあるようでないような、起きているようで寝ているような、絶妙な狭間状態だった。この上なく気持ちの良い、いつまでも味わっていたいと思わせる時間だった。後で話を聞いたところ、一つの理想的瞑想状態に近かったらしい。

 

体験は以上だ。沢山あった感想に一つだけ触れるとすれば全裸のパワーは絶大ということだ。思えば現代人は生物として一番の自然体であるはずの全裸状態をほとんど完全に放棄してしまった。あなたが1日を通して全裸でいる時間はどれぐらいだろう。仮にお風呂に入る20分だとしよう。それだけで人生の99%を生物として不自然な状態で生きていることになる。この失われた99%に大事な何かが隠されているのではなかろうか。

是非とも自然体の時間を押し広げたい。もともとワタナベが裸族だったことは関係なく。衣服という文明が人間の感覚を鈍らせている。目の前の自然への意識を取り戻すデジタルデトックスならぬ、自らの体性感覚に意識を取り戻す文明デトックスが必要だ。ワタナベが裸族であることは関係なく。脱げよ人類。ワタナベが裸族であることとは関係なく。