日本に戻り2年が経った。すなわちこのブログの更新も2年ぶりという寸法だ。2年経ったということは当時オギャーと生まれた子供が2歳になるということであり、地球が太陽の周りを猛烈に2周するということであり、放ったらかしにした髪の毛は24cmほど伸びるわけで、それはもう気の遠くなるような歳月である。え、2年で髪が30cm伸びたって?おめでとう貴方には見事スケベの称号を差し上げます。
かくいう僕は別に2年間鼻をほじり続けたからこの場に現れなかったわけでないことは、僕の両鼻が血をブーっと吹き出すことなく健在であることからも明らかだ。若干人格を別にしながらも別の場で筆を取り続けていた。
↑こういう個人事業の集客的側面を孕んだ場で自己表現をどこまでするかという課題は今なお難しさを感じているところで、正直筆を取らせる人格の落とし所を探索し続けている最中だ。いっそのことどんな読者も想定せずこのブログのように駄文を吐き出し切るという試みに振り切っても良いかもしれない。頑張れワタナベ頑張れ!!俺は今までよくやってきた!!俺はできる奴だ!!と言い聞かせる炭兄を心に飼いたい。
そうこうする内に「書きたいものを書きたい自分」が魔封印の呪縛を解き放たんと臨界点へ達し、ピッコロの入った炊飯ジャーをパカ-するピラフ一味よろしく健気にひょっこり現れた。気付いたときにはPCを開き、ブログなんてもう書けなくなってしまったのではないかという疑念が見え隠れする中勢いに任せてキーボードを叩くと「あーーーこれこれーーー2年越しにもちゃんと流れ出てくるやんーーー」と思わず漏れ出るぐらいに指先はワタナベテイストを覚えている。執筆の呼吸 壱の型 悪筆乱文は幸か不幸か髄まで染み付いている。
それで2年経って三十路にもなったこの金髪は今ごろ何を書こうというのか。
鳥だ。森だ。
世はゴールデンウィーク。我は妻の実家に帰省。妻の実家は山野の奥。広大な裏山に野鳥。
この数日は脱兎のごとく山の中を駆け回った。不思議の国のアリスで序盤の重要な配役を任せるべきはワタナベか白兎かで世論が五分に割れるほどの足の運びだった。身体中に引っ掛けた蜘蛛の巣は集めて整えれば上品なセーターを一着こさえれるほどの量に積み上がり、耳元で囁くハチのブーン音はもはや単なる時報となった。1時間ではなく1分を教えてくれる幾分忙しない報だったが。
というわけで帰省初日から小鳥のさえずりだけを北極星のように見据えエッサホイサと野山をかき分け道無き道を行く生活がスタートした。並行世界に住む僕達の一人ぐらいはディスカバリーチャンネルでカメラマンとして働いていてもおかしくない。久しぶりにこのブログを立ち上げて過去の投稿を見たらやれ鳥だの自然だの垂れ流してたので僕の本質はやっぱりここにあるようだ。
それで実際どんな環境に分け入っているのか。こういう場所だ。
センターオブなんの変哲も無い雑木林。片手にバズーカ。ここで55分待ち、5分シャッターを切る。それをいついつまでも繰り返す。ほとんどは僕一人が無数の植物と虫に囲まれているばかりの時間が流れる。待てど暮らせど小鳥一つ鳴きやしない。この自然との共存に慈しみを抱けないようでは柱までの道のりはまだ長い。
そしてフィーバータイムは不意に訪れる。突然目の前でオオルリが見事に囀り始め、すぐ隣で2羽のキビタキが縄張り争いをし始め、無数のカラ類が360度を覆う。二兎を追うどころか追うべきターゲットは十兎にも及び、しかしバズーカの向け先は一つしか選べないために瞬時の意思決定に迫られる。冷静さが求められる。パニクったら機を逃す。絶対にテンパるな俺。あれ、冒頭で自らを兎に例えたのに今度は被写体となる野鳥を兎で例えっちゃってるな?冷静になれ俺。でも例え被りはつまらなくないか?落ち着け俺。うわああああああああああ。
そんなシビアな環境に幾度となく直面して至った境地がある。
どうやら、森にも呼吸らしきものがある。
別名を流れとも呼ぶかもしれない。日本代表戦で実況の松木さんが「う~ん流れよくないですよ~」というアレ。鷲津と麻雀中のアカギが決して見逃さないソレ。森にも流れがある。それが呼吸をするように、押しては引いてを繰り返している。
初めは小さな予兆から。遠くに声が聞こえたり、不意に一羽の鳥が舞い込んできたり。しかし気付けば次の瞬間、フィーバータイムはすでに始まっており、あっという間に過ぎ去っている。その間およそ数分。この数分のために、次の数十分をじっと待つ。
追ってはいけない。追っても逃げられるだけ。こちらがどっしり構えて、向こうがやってくるのを待つ。去る者を追うモテない男ムーブをするのはモテない者だけなのであってモテない男ムーブをしないことこそがモテることに繋がるのだとかの小泉氏も言う。自分の居場所を見定めたら、じっと機を待つ。あとは森の呼吸に身を委ねる。焦らず予兆を待つ。機がきたら一瞬のためらいも挟まずチャンスを掴み切る。これの繰り返し。
森の呼吸は個対個の関係でも垣間見える。
ある鳥が発見されたとする。そいつは定位置に居座り懸命に囀っている。僕の位置からは画角に捉え難い。移動を迫られる。無理に近づいたり不自然に動いたりすると逃げられてしまう。気配を消し、鳥から目線を外し、意識も鳥から外し、でも耳は鳴き声にそばだてながらそっと山の斜面を歩く。いくばくか歩いたところで第六感的な何かがピンと脳みそを小突く。ようやく鳥の方を見上げてみると、ここしかないという絶妙なポイントに自分がいることに気付く。草木が生い茂る中、奇跡とも思えるほど僕の目と鳥との間にだけ一切の障害物がない絶妙な位置関係。小人モーゼがささやかに新緑を割ってくれましたと言わんばかりの好機。
呼吸が整う場所がある。それがベスポジとベストタイミングを教えてくれる。キタローの髪がピーンと立つみたいな感覚を森の呼吸が届けてくれる。全集中の境地がある。何かと便利な機能なのでゴールデンウィーク後の僕にもぜひ引き継いでみたい。どれだけ日常生活に使えるかしんけど。
鬼を倒せるようになる日も近い。