写真で自己啓発

20年来の見る専だったバードウォッチャーワタナベは遂に今年、撮る世界にも足を突っ込んだ。年始には日本で買ったバズーカレンズをえっさほいさと地球の裏側に持ち帰り、夏にはええカメラにも大枚をはたいた。カメラ購入からちょうど1ヶ月が過ぎた今、夢中でシャッターを切りながら得た発見を10個にまとめて自己啓発本的に紹介していきたい。先にネタバラシすると啓発って所詮は啓発なので、ぼんやりと写真集として眺めて頂ければ結構だ。

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初心者なりに頑張ってます

 

  1. マジで準備は命
    まず王道パンチラインから攻めよう。世に出回る自己啓発本の類で100000000000回は言及されているだろう準備の大切さは、野鳥撮影にも当てはまる。例えば見る専だった頃のワタナベは野鳥を観察する上で天気のことなど気にしたこともなかったが(強いて言えば雨を憂うぐらいだった)、写真を撮るとなると話が変わる。太陽に雲ひとつかかっただけで被写体の鮮やかさは見事に失われてしまうため、雲一つない晴天の日を選ばないとそもそも満足いく日にはならない。他にも場所、曜日、時間などいくつかの検討事項があり、それら全てを事前に見極めてようやく戦場に繰り出す。スタートラインまでのアプローチがその後の戦果を左右するのだ。

  2. 臨戦態勢の人だけがチャンスをモノにする
    野鳥撮影は持久戦だ。なんのイベントも生じないのどかな湖畔をぼーっと眺める時間も短くない。ときに自分が撮った写真を眺め、ときにスマホに意識を奪われてしまうこともある。しかしチャンスは突然やってくるのだ。野鳥が突如登場して美しいムーブメントを披露し立ち去って行く一連の流れはまさに秒の世界だ。それを写真に収めれるかどうかの最初の分かれ道は、そもそもカメラを構えていたかスマホを握っていたかというところから始まる。チャンスは誰しも平等に訪れるが、それをモノにできるのは常にファイティングポーズを取っている人だ。

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    着水とか一瞬の勝負


  3. 僕らは認知機能に騙されている
    「今日の月デカい!」とテンション高めにスマホをかざすも、写真で見ると一切の凄みが失われるという経験が皆さんにもおありかと思う。月だけでなく、僕らは常に現実世界を自分の都合に合わせて自在に伸縮させたり切り取ったりしている。飛んでいる鳥もこれに当たる。脳裏には息を飲むほど美しい飛翔姿が焼き付けられたとしても、実際の出来事は1000分の1秒単位であるため、カメラに収めることは極めて難しい。僕らは世界の誇張バージョンを享受しているに過ぎないので、心踊る嬉しいことや沈み込んでしまう悲しいことがあっても、絶対値を割り引いて捉える冷静な自分を同時に飼っておけば現実とのギャップに対処しやすいかもしれない。

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    ヤマセミカワセミが同居する奇跡!と撮るも小さい小さい

  4. 道具が認知機能を助けてもくれる
    道具は認知機能の罠を指摘してくれる以上に僕らを助けてもくれる。「距離は近いけど草が鬱蒼と茂ってよく見えない」という場面に野鳥観察ではよく遭遇する。肉眼での観察は難しくてもカメラを覗いてピントを合わせると途端に周りの雑音が存在感を消し、被写体がありありと切り取られる。生身の肉体だけでは享受し得ない世界がファインダーに映し出されるように、道具を使うことで普段は気付きづらい身の回りの美しさに気付けることもある。

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    こういうのはカメラを覗いて探す

  5. 素材を生かすも殺すも舞台次第
    写真を始めるまでは地味な水鳥よりも色鮮やかで声艶やかな山谷の鳥が好きだった。この価値観は写真を始めて塗り変わった。山谷の鳥は確かに「個」としての美しさがあるが、枝にとまりがちな彼らの背景はどうしても空になることが多く、絵としてどこか生き生きとしない。一方で水鳥は水面や水草を背景に抱えることで「全体」としての美を演出し、胸を打たれる光景に出会うことが出来る。「今までこんな美しさを見せてくれていたのに気付けなくてごめんね」と呟きながら懸命にシャッターを切っている。人の輝きについても似たようなことが言えそうだ。

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    美しいはずのアオショウビン、剥製のように見えてしまう

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    全体美としてのカモ

  6. 好きは伝播する
    水鳥の全体美に気付くと今度は水面の美しさに目が向き、いつしか鳥の反射、あるいは水面を主題にすることも増えた。自分が一足飛びに水の写真を撮りだす世界線はなかっただろうなと考えると、この山谷の鳥から水鳥へ、水鳥から全体美へ、全体美から水面へ、という好きの伝播こそが、自分の生活の豊かさを広げるための適したアプローチなのだろう。

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    反射するサギ

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    反射する草

  7. 競合は第二の目
    湖のほとりに陣を据えると、カバーすべき範囲は目の前180度に渡って広がっている。その全てを同時にケアすることはまずできない。そんなとき頼りになるのが周りのバードウォッチャーたちだ。彼らが突然一方向に向けてバシャバシャやり出したらそれが開戦の狼煙だ。カメラの先には何か重大なことが起こっている。市場を観察するときは自分の目の他に、競合の目も有効に使いたい。

  8. その上で自分の関心に集中する
    ときにフィーバータイムに突入する。あっちでカワセミが狩りに成功し、こっちでイヌが現れ、向こうでサギが喧嘩を始めるというイベントの大渋滞がごく稀に起こる。加えて、自分以外全員がイヌにカメラを向けて熱心にシャッターを切るという状況が訪れる。そんなとき周りに流されてはいけない。胸に手を当て、自分の関心がなんなのか見極め集中する。イヌも好きだが、自分が撮りたいのは鳥だ。選択肢を捨てることになるが、自分の好きを譲ってはいけない。競合の目は市場観察に利用しながらも、彼らに選択を委ねてはならない。自分の行動は自分の心で決めるのだ。

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    一応イヌもちょっと撮った

  9. 結局、愛
    友人のプロカメラマンに自分の拙い写真を見せると「愛がある!俺こんな写真撮れない」と言ってもらえた。そこから愛を意識し始めた。光とか、構図とか、背景とか、なにかと気を配る要素は無数にあるが、結局出来栄えを決めるのは対象への愛だ。自分が愛おしいと思う瞬間をできるだけ削ぎ落とすことなく記録しようと試行錯誤すると、それが後から振り返れば光が重要だったネーとなるって話なだけだ。各論に留まらず、自分の愛を突き詰めることが肝要だ。

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    は〜〜〜愛おしい〜〜〜と心で叫びながら撮ってる

  10. 自己啓発なんて所詮自己啓発
    以上の啓発を並べてみた感想は「自己啓発ってやっぱりあんま意味ないな」ということだ。自分自身今までいくつかの自己啓発に触れてきて、そのたび「なるほど確かに」などと思いはするものの生活に変化が起こるわけでもなく以上終了だった。自己啓発は学びを実際のアクションに落とし込んで初めて意味を発揮するはずだが、アクションに落とし込むためにはその落とし込み先となる「自分の取り組み」がなきゃならない。しかもその取り組みに夢中になっていないと中々学びからアクションへと壁を超えられない。今までの自分はそれだった。
    今回さも知った風に自己啓発パンチラインを並べて判明したのは、そもそも夢中で何かに打ち込んでいる人にとってこれらtipsは当然の事実、今更何をという指摘の列挙に他ならないということだ。つくづく、好きを突き詰めている人は強いなという十人並みの感想に至るワタナベだった。

 

写真、またたまに載せますね。