あなたの「いいなー!」はどこから?

先週仕事でラスベガスに行くことがあったが基本的に一切のラス感もベガス感も嗅ぎ取ることのないヒョロガリ丸メガネ出張の陰キャジャパニーズをやってきたった。東京を発つ直前に妻がインフルエンザを発症したためそれまで一心同体の動きをしていた自分も予防のためにとタミフルを処方してもらい制限時間の分からない時限爆弾を抱えるようにして飛行機に乗った。すがるようにしてパクパクと貪った錠剤が功を奏したのか、幸い不安の種は爆ぜることなく事なきを得た。しかしホテルに到着した頃には幾分か心がゲッソリしていたことは言うまでもない。「少女生贄」でググって出てくる映画のパッケージがそのまま当時のワタナベの心と想定頂きたい。

心ばかりではなく体にも疲労が蓄積していたのはその片手に2kg超の精密機器を担いでいたためだ。大枚を叩いて手に入れたカメラ用のレンズは例えバズーカとも呼びうるサイズを有していようとも肌身を離すわけにはいかず、空港での税関審査、公共交通機関、人混み、トイレ、どこに行くにしても常に肩に担いで歩いた。「ランボー 怒りの脱出」でググって出てくる映画のパッケージがそのまま当時のワタナベの姿と想定頂きたい。

 

そんな訳で心身ともに爆裂な疲労感を抱えてようやくホテルに着くとあまりにも大きすぎる1人部屋がお出迎えしてくれた。大家族を賄えるほどの食器が揃ったキッチン、2つのバスルームに2つのシャワールーム、巨大なリビングと巨大なベッドルームには巨大なテレビが一つずつ、ついでに何故か沢山ある洗面台の一つにもテレビ。おいおい僕のことをヘソで茶を沸かしながら踵を返しながら面の皮を剥ぎながら眉に唾をつけながら目を光らせながら肝をつぶしながら空いた口が塞がずにいられる世紀のびっくり人間だと勘違いしてやいないかい。僕の体は一つであってシングルベッドと程々の余白で十分なんだそれ以上のスペース作るぐらいなら植林してくださいどうぞの心境。

そんな訳で一生ひねることのない蛇口や一生腰を下ろすことのない椅子や一生映ることのないテレビをよそにベッドの上でパソコンを開いてなんてことない画面内の日常に舞い戻った。キーボードのタイプ音だけがだだっ広い室内を無情にこだまし、ここに「咳をしても一人feat.ラスベガス」の誕生を見る。これでも選択肢の中から一番リーズナブルなホテルを選択したのだ、如何にラスベガスという街が剛腕ねじ伏せ型ボンボンバブリー都市か伺い知ることができた。

 

一応この衝撃を報告しておこうと室内を闊歩しながら動画に収め妻に送信すると返事が一言「いいなー!」。ダウト。このタイミングで彼女の口からいいなー!が出てくることは天地がひっくり返ってもあり得ない。何せテルアビブで家探しをした際不動産会社に次から次へと錦衣玉食な物件を見せられつつ「広大な床面積!高層フロア!スマートハウス!」と攻め立てられる中で彼女は「狭いところが好き…生活感のある家が良い…可愛い家具が欲しい…」とテンションだだ下げるような人だ。「地中海ビーチが一望!リゾート気分!ラグジュアル&ラグジュアル!」と囃し立ててくる中で二人揃って「お台場みたいなところだね、住み辛そう」と一言放つ冷めた夫婦だ。逆立ちしようともバブルの残り香が充満するかの如き激しい主張を伴った豪華絢爛部屋に「いいなー!」の感想は出てこない。インフルエンザが彼女を狂わせているのかもしれない。

 

しかし僕が彼女の立場だった場合、そして自分の気持ちをロクに言語化せず反射的な返信をしてしまった場合、同じく「いいなー!」の文字列が画面上に踊った可能性は十分に考えられる。僕が部屋に着くや否や抱いた思いはただ一つ「この環境を享受できる友達を今すぐ呼びたい」であり、一人ではそのオーバースペックな部屋を一切楽しむことが出来ないことは誰よりも自分が一番知っているはずにも関わらず、それに気付かず想像上の虚構に取り憑かれて羨むというシナリオは想像に難くない。

 

思えば僕らの生活はそんな「いいなー!」で溢れかえっている。幸か不幸か自分たちの生活をあけすけに共有できる今日では他人の生活を覗き見ることは造作無い。そして往々にして目に届く他人の世界はそれは見事に都合よく加工され尚更いいなー!の源泉となっている。しかしそのいいなー!は本当に心からのいいなー!だろうか。インフルエンザに侵された僕の妻のように自分の本当の意思とは別の部分が反射的に応じている、虚構に向けた羨望ではないだろうか。そして時として人は自ら気付かないうちに虚構に対する羨望があたかも本心からのいいなー!であるかのように錯覚し、不必要な不幸に直面してはいないだろうか。

 

前澤社長の100万円企画を契機として自分が100万円でやりたいことは何か考えてみた。南極へ行きたいがそれはお金というより時間が必要だ。カメラのレンズは思えばずっと気になっているなと自覚したので即購入を決断した(故に2kgの金属片を地球の裏側まで担いで帰ることになった)。他に思い当たるものは特になかった(想像力の乏しさが悲しい)。だから別に今100万円はいらんなという結論に至った。もちろんあって困るものでもないし保険として持つ価値は否定しない。でも本当に心から欲しいもの・やりたいことがあって、それに幾分かのお金が必要ならばお金が降ってくるのを待たずとも自分で作る努力を今から始めればいい。100万円でミシュランレストランに足を運んで美味しいものを沢山食べたいと本気で思うなら副業を検討し始めるでも株の勉強を始めるでも、とにかく100万円作るための行動を今すぐ始めればいい。そこまでするのは面倒だと感じるのであれば最初からミシュランなんてそれ程欲していないのかもしれない。高級レストランに行った人の投稿をインスタで見て「いいなー!」と思うのは虚構に向けた羨望かもしれない。

 

スマホを見返してみると「いいなー!」という返信は僕の妄想によって生み出された産物であり正しくは「いいねー!(意:せっかくの機会なんだから最大限楽しむ努力をしてきなさい私は全然ひかれないけど)」というニュアンスの文章であることが発覚した。これだから妻が好きだ。

 

余談だが取り敢えず体験しとけな人間ことこの私は隙間時間を見つけて一応ギャンブルにも足を突っ込んでみた。案の定30分で100ドル溶かしたので今から土下座の素振りを始めて妻の帰りを待つこととする。