溶けるリアルとバーチャル

「実体験が大事だ!」と奮起したワタナベは久しぶりの日本帰省という好機を逃さなかった。

奮起の経緯については昨日の投稿を参照されたい。

古き良き情景や文化体験に限らず、日本にいるからこそ味わえる楽しみというのは意外と多い。海外に住んでいると尚更ひしひしとこれを感じる。今回の帰省では予てから気になっていたチームラボを訪れた。

 

今更説明の必要もないだろうがチームラボとは日本発の体験型展示施設で、SNSを利用している読者の皆さんならスマホ越しに一度は目にしたことがあるであろうアレだ。精緻な説明は公式ページから引用することとしよう。

 

アートコレクティブ。2001年から活動を開始。集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、デザイン、そして自然界の交差点を模索している、学際的なウルトラテクノロジスト集団。アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、様々な分野のスペシャリストから構成されている。 

チームラボは、アートによって、人間と自然、そして自分と世界との新しい関係を模索したいと思っている。デジタルテクノロジーは、物質からアートを解放し、境界を超えることを可能にした。私たちは、自分たちと自然の間に、そして、自分と世界との間に境界はないと考えている。お互いはお互いの中に存在している。全ては、長い長い時の、境界のない生命の連続性の上に危うく奇跡的に存在する。

 

なるほど。やったぜ(?)。所々自分の理解が追いつかない部分があるものの、自ら体験してきたからこそ、ここで言及されている彼らの目指す世界観を少しは捉えることができた気がしているので記録しておきたい。

 

チームラボで得た体験を一言で表すならば「裏切り」だ。裏切りという言葉そのものには多分にネガティブな意味合いが含まれてしまうが、今回の経験は必ずしもマイナス要素だけがあったわけではなく、その裏切りの先に自分自身の価値観のアップデートがあったことも付記したい。

 

何しろ、言葉を選ばずに言ってしまうと、概して作りが「ちゃっちい」のだ。オブジェに触れてみると発泡スチロールのような脆弱そうな素材が使われていたり、映像を目の前にしてみると画質の荒さが目立ったり、気になるところがそこここで散見される。もちろんいくつものプロジェクターを駆使して巨大な映像を切れ目なく投影し続ける技術や、場全体の音・光量・空間的余白の設計など、感心して舌を巻く要素も多分にあった。あったのだが、イチ個人としてイチ作品と対峙したとき、かつて自分がSNSで目にしていた美しい映像と今目の当たりにしている展示とを比較すると、断然前者の方が輝いて見えるように感じた。わざわざ足を運んで得た感想が「SNS越しの世界の方が美しい」だったので、ちょっと肩透かしを食らった気持ちになった。これが自分が感じた「裏切り」だった。

 

多様にあるメディア形態には、それぞれ適切な鑑賞距離があるように思う。「て、て、テレビを見るときは~部屋明るくして離れて見てね」と毎週両さんが歌ったように、テレビは部屋一個分の距離で見るのがちょうど良いし、映画館にはまた映画館の距離がある。翻ってチームラボの作品を純粋に鑑賞しようとすると、その適切な鑑賞距離は「スマホ越し」ではないかと思う。

現場に身を置いて目の前の作品に「ちゃっちい」という感想を抱いていたさなか、せっかくだからと周りの人と同様にスマホカメラをかざした。すると驚いたことに両手に収まるその数インチの画面上にはこの上なく美しい光景が広がっているのだった。あまりの衝撃に目の前の現実世界と画面上の出来事とを何度も何度も見比べた。どれだけ視点を往復させても、やはり現実よりもスマホ上の世界の方が魅力的に映った。きっと現実世界の脆弱そうな素材も荒っぽい画質も、スマホ画面上の出来栄えを完成するために必要十分な要素であり、敢えてそうなっているのだろう。

 

僕らはリアルに生息する生き物だ。技術の発達によって僕らのリアルは少しずつバーチャルに移行されてきたが、それでもバーチャルはリアルを補助する役割、主従関係で言えば主であるリアルを従であるバーチャルが下位互換ながらもどうにか表現するかという構図が長く続いてきた。鳥の写真を撮り、歌を歌うことを娯楽に持つ自分にはこの関係性が尚身に染みている。目の前の美しい光景をそっくりそのまま写真に写すことは極めて難しいし、身も心も震える音をmp3で保存してもどこか物足りなさを感じてしまう。本当の喜びはいつもリアルにあり、バーチャルはあくまでその喜びを断片的に保存・伝達する手段に過ぎなかった。

 

しかしチームラボはこの関係性をひっくり返している。本当の美しさはバーチャル世界に存在し、リアル世界はあくまでバーチャルの美しさを成立させるための手段として位置づけられている。SNS上の喜びがまずあり、そのポジティブな感情を追体験しようと多くの人がリアルに集い一層大きなバーチャルムーブメントを巻き起こしている。平成を生きた自分にとっては青天の霹靂だが、これからの時代は避けられない流れなのだろう。こうして価値観をアップデートできただけ、裏切られ甲斐があった。

 

冒頭の引用、

チームラボは、アートによって、人間と自然、そして自分と世界との新しい関係を模索したいと思っている。

 は、まさにリアルとバーチャルの主従関係の見直しとも言い換えれる。大事なのはあくまで「見直し」であり「入れ替わり」ではないということだ。両者は時と場合によって今まで以上に関係性を柔軟に入れ替え補い合うようになるのだろう。来るべき未来は全てがバーチャル世界に支配されるようなディストピアではなく、これまでに存在しなかったリアルとバーチャルのフェアネスが実現される世界だ。個人的には世界線の広がりを喜ばしく思う。

 

チームラボはまた、分別を持つことの大切さも教えてくれた。今やSNSを開けば「羨ましい光景」は無限に広がっている。一個人がその全部を追うことは到底出来ないし、いちいち気に留めていては自らの人生が疎かになってしまう。大事なのは自分が本当に求め喜ぶものは何なのかを見極め、それ以外には断じて浮き足立たぬよう自らを御することだ。全てのリアルを求めなくとも、ただバーチャルで眺めるだけで十分ということが往々にしてあるだろう。難しいんだけどねー。