たぬきち商店のキャッシュフロー

Niantic社がハリーポッターの新作ゲームをローンチ予定という記事を読みながらふと傍に目をやると、1日を終えようとしている妻がスマホで「どうぶつの森ポケットキャンプ」通称「ポケ森」に熱を入れていた。

 

「多分だけどさ、ポケモンGO始めたらすごいハマると思うよ」

 

テレビゲームは元よりスマホゲームにすらほとんど手を出さず唯一ポケ森だけは「かわいい~かわいい~」と言いながら継続していた妻がポケモンGOにも同様に熱を入れれるだろうという予想は、この時点でまだなんとなくの勘でしかなかった。蓋を開けてみればそのぼんやりとした予想は見事的中することとなり、案の定どころか予想を上回って熱心にポケモンと対峙している妻(と僕)がいた。

 

今になって考えてみれば、ポケ森にハマった妻がポケモンGOにも同様の反応を見せる理由はいくつか挙げられる。愛でる対象となる「かわいい」キャラクターが多数登場すること、アクションゲーム・パズルゲームのように機敏な動きや短時間での判断を求められることがなく自分のペースで進められること。少なくともこの2要素は妻がポケ森とポケモンGOに入れ込んだ共通の理由に当たる。かわいい生き物を眺めることがこの上ない至福であると同時に、俊敏な指先の動きを苦手とする彼女にとって必要不可欠な継続要因だということは、今なら後付け的に言い添えることができる。

 

しかし「ハマると思うよ」と誘いの言葉をかけた当時のワタナベ脳内には、自分の口から発される勧誘を裏付けるような理由は一つも言語化されておらず、本当に「なんとなくそう思う」の域に留まっていた。そもそも何故その直感を得たのか、また、結果的に現実が直感通りになったのかと言えば、おそらく自分が妻・どうぶつの森ポケモンGOのことをいずれも「よく知っていた」からだろう。

 

就寝前にポケ森を起動しては「かわいい~」とつぶやく妻の嗜好を僕は「知っていた」。

毎日とは言わないまでも頻繁にポケ森を起動しては1日の疲労を洗い流すかのような平和世界へと浸る妻をいつも隣で見ていた。ベッドの上でかすかに鳴る緩やかなポケ森BGMはいつしか自分にとっても就寝を告げる引き金としての役割を担い始め、どんなヒーリングミュージックよりも心地よい入眠剤として機能し出した。妻はいつも眠気と愛情の入り混じった幸福そうな笑顔をしていた。

 

どうぶつの森が提供してくれる体験価値についても僕はよく「知っていた」。

さかのぼること約20年前、テレビゲームに対して強い反対派の父をトップに据えたワタナベ家では家庭用ゲームがなかなか導入されず、少年ワタナベは64用どうぶつの森GCどうぶつの森を辛酸を嘗める思いで見送った。遂にDS用「おいでよどうぶつの森」が発売されてからというもの、ワタナベは積年の憧れを全放出する勢いで脱兎の如く森中を東奔西走した。国際捕鯨委員会が「ホゲー」と唸って倒れるほど海から魚介類を総ざらいし、ヨーロッパのヒートウェーブが可愛く映る勢いで森中の果実を骨抜きにし、コスモス・チューリップ・バラなどあらゆる生花に品種改良の手を加え、地形が変形してしまうほど化石を掘り尽くした。売っては買い、買っては売りの連続でたぬきち商店のキャッシュフローは膨れ上がり、役所のペリ子さんは高く積み上がっていくバランスシートに目を丸くした。入れ替わり立ち替わり引越してくる村人たちとの交流は極めてビジネスライクだった一方で、のちに妻が享受したようなのんびりとした世界観を楽しみもした。

 

ポケモンGOとの付き合いはローンチ初日からになる。今でこそ地図ゲームという認識が浸透しているが当初はARスマホゲームという触れ込みで注目が集まっており、半ば仕事的マインドでダウンロードした。何の疑問も抱かず会社スマホにダウンロードしたところIT部から「ゲームのダウンロードが確認されましたがこれ如何に」という旨の御達しがきたのも一夏の思い出だ。今でこそバトルやイベントといった多様な機能が搭載されているポケモンGOだが、当初はもっとシンプルな作りだったため「こんな感じかー」と一通りの感想を抱いたのち1週間で削除してしまった。

 

というわけで自分には妻・どうぶつの森ポケモンGOのいずれに対しても一定の実体験とそれに伴う感想があった(=「知っていた」)。それぞれ別々の場所、別々の時間で得た体験だったものの、それら3つがひょんなきっかけから脳内で繋がり妻と自分のポケGO生活という新たな習慣を生み出した。自分にとっての予想外は、かつてたった1週間で削除したポケモンGOが妻と一緒にプレイすることで何週間も継続できてしまう代物に変貌したという事実だった。

 

ゲームに限らず人生の新たな生活習慣が生まれる化学反応は素敵だと思う。これをもっと作っていきたいと考えたとき、自分に出来る努力は二つありそうだ。一つはなるべく多様で数多くの実体験を積んでおくこと、そしてもう一つはその体験に全神経を傾け、出来る限りの言語化を通して自分の中に体験情報としてストックしておくことだ。沢山インプットして、沢山アウトプット&ストック。そうすればいつか思わぬ点と点が繋がるときが来るだろう。かつて僕がたぬきち商店のキャッシュフローに激流をもたらしたように、今度は自らの実体験にダイナミックな動きを作り出そう。