焦らしプレイ歴27年

「今までどうやって生きてきたの?」

「人生の半分損してる」

「お母さんちゃんとした人だったんだね」

カップラーメンを食べたことないという発言に対して返ってきたリアクションは様々であったが、共通していたのはその事実を珍しがる姿勢だった。自分が生まれてこのかたカップラーメンを口にすることなく過ごすのに、ある時点までは何の努力も必要なかったし違和感を覚えることもなかった。単に実家にはカップラーメンが置いてなかったし(恵まれたことに)幼少期は常に親か近くに住む祖父母がご飯を用意してくれた。

中学生の頃、今となってはどんな会話内容だったかすら覚えていないが、友達とカップラーメンの話になった。何の気なしに「俺カップラーメン人生で一回も食べたことないんだよねー」と言うとその場にいた5,6人の思春期真っ只中の少年たちが一堂にええ~~~と大声をあげ、矢継ぎ早に「あり得ない」「俺週3で食べてる」「カップヌードルも!?チキンラーメンも!?」などと突っ込みの応酬を食らわしてきた。冗談抜きでカップラーメンに関して知識も経験もゼロに等しかったワタナベ少年はカップラーメンの入り口はカップヌードルチキンラーメンなのかあ…などと想像を膨らませながら自分の希少性を初めて自覚し、ここから意識的にカップラーメンの禁を発動した。

同じことをやっていても、勝負を意識し始めた途端に緊張が増す・精神的負荷がかかるという状況は漫画でもよくある描写だ。弱虫ペダルでは元々は鼻歌交じりに20%の傾斜を漕ぎ上がっていた坂道君も今泉君との勝負となった途端に同じ道で歯を食いしばり心が折れかけているし、アカギのウラベ戦では50万円と思っていた勝負の内容が本当は3200万円と分かった途端にオサムの麻雀内容は人が変わったように豹変してしまう。

そして今回、ワタナベにとってのカップラーメンも同様の手のひら返しを見せてきた。それまで辛いとか努力を要するとか以前に存在すら意識に上らなかったカップラーメンであったが、一度それを遠ざけようと決意するや否やとんでもない存在感を帯びてことあるごとに脳裏に登場し誘惑するのであった。

思えば中・高・大学生の生活というのは人生でも最も容易にカップラーメンに囲まれうる時期だった。部活帰り、疲れて寄るコンビニでカップラーメン。予備校の昼休み、休憩室に充満するカップラーメン臭。授業が終わってサークルが始まるまでの時間、ちょっと小腹を満たすためにカップラーメン。カップラーメンはいつでもどこでも学生の味方だった。同じ100円とちょっとの支出を投じながら、片や自分はオニギリ一つ、片や目の前の友達は強烈なスープの香りを漂わせながらズルズルと麺を啜りあげ、おまけにスープを飲み干して体を温めていた。

この独特な香りの向こう側にはどんな味が待っているんだろう。この3分という長く短い冬眠を終えた先にはどんな春の訪れを感じることができるんだろう。いいなあカップラーメン。いいなあカップラーメン。

ときに何事もなく、ときに絶大な痛みを伴ってカップラーメンを禁止する日々が27年間続いた。異性との交わりを持たぬまま30年の月日を過ごすと晴れて魔法使いに昇進できるという言説があるが、自分もカップラーメンウィザードの称号が目の前に迫ってきた。現代の魔法使いことOchiai氏と並び、現代カップラーメン界の魔法使いWatanabeを自称できる日も遠くないと心が躍動しかけていた。

そんなさなか、27年の時を経てカップラーメンの禁を解いた。

去年の年末、日本へ帰国する道中のことだった。初めて韓国経由のフライトを利用した自分は幸運にも空港ラウンジを利用する権利を得、意気揚々と仁川空港の整えられた空間へと足を運んだ。転機はここで訪れた。ラウンジ内へ足を踏み込むや否やそこはかとないラーメンの香りが充満しており、よく見ると2人に1人の割合(ワタナベバイアス込)で真っ赤なパッケージのカップを手にした人がそこら中に溢れていた。ふとブッフェコーナーに目をやるとそこには辛ラーメンカップがピラミッドのように高々と積み上げられ、ワタナベは驚嘆とともに口を半開きにしながら見上げる格好となった。この時小さく心が呟いた。今かもしれない。

結果的にこの仁川空港の辛ラーメンで見事カップラーメン童貞を捨てることになった。特別な準備もお膳立てもないまま日常生活に大きな凹凸をもたらさない形で初めての一杯を迎えられたことは嬉しく思う。長く我慢を貫きつつも、初めての一杯を盛大に啜りたくないというのが斜に構えたワタナベの思想だった。24時間テレビの感動モノを揶揄するSNS上の声に似ているが、我が人生におけるカップラーメンも、耐えて、耐えて、耐えて、はい!!ついに!!!ようやく!!!!カップラーメン食べるときです!!!!!おめでとう~~~~~パチパチ!!好きなだけ感動していいですよ!!!!感想は???どう???嬉しい???よかったね~~~~~!!!!的な人工的な設定はどこかサムくどうしても避けたかった。そんなカップラーメン実行委員会には出番を与えることなく、何気ない日常の中で何気なくテープを切り、静かにその瞬間を五感と心で味わいたかった。結果上手くいった。僕の中の実行委員会は仁川空港のラウンジに入る頃から「あれ?これヤバい流れじゃね?」と察し始め、そびえ立つ辛ラーメンを前にしてようやく「ちょっと!急いで!始まっちゃう!!」と慌て出し、僕が27年の沈黙を破って最初の一口をすすった頃にはまだTSUTAYAサライのCDを借りたところだっただろう。祭り性を完全に置き去りにした、程よい節目だった。

辛ラーメンを口にしてから、徐々に他のカップラーメンにも手を伸ばしつつある。特に初めてのカップヌードルは衝撃もひとしおだった。27年間の焦らしプレイを経て口にした一杯は含蓄に溢れ、思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。地元のローソンの駐車場で友達が美味しそうにすするあの匂い、東進予備校の休憩室に充満していたあの匂い、学食の残り汁コーナーに次々と投げ入れられていったあの匂い、全ての思い出が口の中に広がっていた。カップヌードルの味は、思い出の香りがそのまま凝縮され舌の上に広がるようなシロモノだった。

3個目、4個目とカップラーメン経験を重ねるにつれ、その感動も薄れつつあることを実感している。焦らしプレイ直後の感度がいかにビンビンであるか、そして努めて意識を向けないと僕たちの五感はいかに怠惰たり得るか、大変深く理解できる27年の末の実験結果だった。