バブー!

თქვენ ბიჭები, აპირებთ წასვლა პარკში რომ გორაზე? ამიერიდან? ეჰ, ფეხით? ასეთი აბსოლუტური მარცხი. ფერდობზე ძალიან ციცაბო და მე ვერ შეძლო ფეხით ძალიან. იმ დროისთვის ჩამოვალ, მე ვიქნები გმირი. ეს ავტობუსია. კარგია წასვლა ავტობუსი აბსოლუტურად. წაიყვანეთ ქუჩაში მთავარ ქუჩაზე და როგორც კი მიხარია, ავტობუსის გაჩერებაა, აქედან ავტობუსის ნომერი 124 იქ. შემდეგ მე შემიძლია პარკში წასვლა. 124 და 124. გაქვთ თუ არა ავტობუსი? ოჰ ეს. თუ ორჯერ შეეხეთ ამ ორ ადამიანს, შეგიძლიათ გადაიხადოთ ორი ადამიანი. კარგად მაშინ, გაერთეთ.

 

ご安心されたい。文字化けではなくグルジア語だ。今日は一切の語学学習を経ることなく突如としてこのグルグル文字な長文を理解できるようになってしまったアリスも顔負けの僕と妻 イン ワンダーランドな話を紹介したい。何を隠そうこれを読んでいる日本語話者の皆さんもアリスたる素質を等しくお持ちなのであとはワンダーランドに身を投じるばかりだということも念頭に置かれ読み進まれたい。久しぶりのブログ更新なので定型の語調を忘れてしまったってばよ。トリマメンゴメンゴ。

 

地球最後の秘境コーカサスグルジアに行ってきたのはもう3週間ほど前のことになる。豊かな自然、美味すぎるメシ、そして爆安な物価のために過去この地を訪れた人の口からはポジキャンばかりがダダ漏れになることで名高い。ワタナベ夫婦の体験した時間もその例外ではなく、4日間の滞在期間中に口をつく語彙といえば「綺麗!」「美味い!」「安い!」の3単語に絞られ、あからさまな幼児退行不可避な環境だったことは疑う余地もない。そりゃ夕食にビールを飲んで超がつく美味いものを満腹まで食べた末のお会計が2人で400円だった日には赤ちゃん返りが極まるところまで極まって思わず「バブー!」と叫んでしまう気持ちもお分かり頂けますでしょ?とにかくびっくりしたんでちゅ。

 

しかしながら敢えてグルジアという国のチャレンジングな点に言及するのであればまず挙げられるのが言語だ。英語話者を見つけるのは極めて至難の業、いわんや日本語をやな状況下で、耳にはグルジア後とロシア語ばかりが滑り込んでくる。看板や道路標識の大部分はグルジア語一色に染まり、どこもかしこもグルングルンのハート形や扇子型の羅列となっている。一切の責任は私めの低教養にあるということを先んじてお断りしてから申し上げると、ただでさえ幼児退行したワタナベの目には2文字に1回おしりを出したクレヨンしんちゃんが登場しているように映り、脳内には「ブリブリ~ブリブリ~」という愉快な声ばかりが反響するために一切の内容を読み取ろうとする努力すら困難であった。ちゃんとあの時お母さんの言うことを聞いてクレヨンしんちゃんを控えていればという後悔が頭をよぎったが、だとしても2文字に1回ハートが自動知覚されるために脳内では「うふん♡うん♡」みたいな音が響き渡り、いずれにせよ雑念を振り払う難易度は高そうだ。

 

流石にホテルだったら英語も通じるだろうとタカを括って乗り込んだもののそこで我々の甘さが露呈した。安宿を選んだこともあってか一切の英語が通じない。ステラおばさんのような気の良さそうなママオーナーが臆することなく発する台詞は容赦のないグルジア語の洪水で、唯一不純物のように混ざって出た英単語は「マネー」だった。

ホテルに到着してからひと段落し、さて街に繰り出そうと外へ踏み出した僕らを引き止めてステラさんが朗々と述べたのが冒頭のグルグル文章だった。推測するに意味はこうだ。

 

あなた達、あの丘の上の公園へ行くつもりなの?今から?え、歩いて?そんなの絶対ダメよ。斜面が急すぎてとても歩いて行けたものじゃないわ。到着する頃にはヘロヘロになっちゃうわよ。バスよ。絶対バスを使って行くのが良いわ。ここの通りを大通りまで行って左に折れたらすぐバス停があるから、そこで124番のバスに乗りなさい。そしたら公園まで一本で行けるから。124よ124。バスカードは持ってる?ああそれよそれ。その1枚を2回タッチすれば2人分の料金を払えるから大丈夫。それじゃ楽しんでらっしゃ~い。

 

この文章をそのままGoogle翻訳に突っ込むと冒頭のグルグルが吐き出される。

この一呼吸で言い放たれたかにも思えるほどのマシンガンガイダンスを前に、夫婦二人で愕然とした。それは疑いの余地なく隅から隅までグルジア語だった。一つも不純物のない、一切の例外なく知らない響きの羅列だった。なのに二人して何の不自由なく、ステラさんの言わんとすることを理解することができた。ステラさんもこっちの意図を難なく汲み取ることができていた。かくして日本人同士のような流暢さで意思疎通が完結し、僕ら二人はヘロヘロになることなく丘の上の公園にたどり着くことができた。ステラおばさんのワンダーランドへようこそ。

 

ステラマジックの中身は豊富な意思伝達手段だった。表情、身振り、手書き文字、あらゆる意思疎通媒体を駆使した結果言葉は必要不可欠なものではなくなり、そこには今まで体験したことのない不思議なコミュニケーションが構築された。言葉に頼りがちな僕らに対してステラさんは「あなたの顔、体、身の回りにあるもの全てがメディアになるのよ。せっかくなんだから活用してみたら?」と示してくれているようにすら思えた。

指をさしたりジェスチャーで現すことで「丘の上に今から行きたいの?」と問いかけ、

顔を歪ませながら体全体を使うことで「歩いていくにはキツすぎるわ」とアドバイスし、

その辺で埃を被っていた車の表面を指でなぞって「124」と乗るべきバスを示してくれ、

とにかく一つ一つが何不自由ないメッセージングになっていた。人類すげーと思う瞬間だった。

 

語学、特に英語学習をしようという流れ、もしくは日本人は英語が苦手だという論調が少なからずあるように思うが、ステラさんはここに問いを投げかける。「何のための」学習なのか、日本人は本当に「英語が」苦手なのか。

イッテQの出川氏が象徴的だ。英語を話せない出川とペラペラ帰国子女がアメリカの街に放り出され、ヨーイドンで道ゆく人に質問しながらお題の答えを見つけるという課題で往々にして早く正解にたどり着くのは出川の方だ。語学堪能が必ずしもコミュニケーションの肝となる訳ではなく、時に表情や仕草の方が重要になることもある。要は、そのコミュニケーションの目的は何で、その目的を達成するために必要な要素は何なのかという話だ。

 

ステラおばさんが問題なく宿泊客の面倒を見、観光案内を全うしていることを踏まえると今の所英語の習得はさして事を急がない。彼女の伝えようという気持ちと、その気持ちを表出させる多様な表現方法が全てをカバーしている。最悪彼女の口から出ている単語が全て「バブー!」だとしても言わんとすることは理解できる気がする。

コミュニケーションの目的に立ち戻って考えると、義務教育で一通りの英語学習に触れている多くの日本人にとって本当に必要なのは再度の英語教育ではなく意思疎通に対しての心構えの指導かもしれない。

今「できない」と思っていることは、その先の目的を捉え直してみれば実は別の道が伸びていて、意識の変化一つで「できる」ことになるのかもしれない。

 

バブー!(グルジアまじおすすめです。)

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