あなたの好きを教えてください

妻の実家でいただいたコーヒーがやたらと美味しかった。ご両親に聞くと豆のことはよく分からないけどいつも同じコーヒー屋さんで買っているという。なるほどコンスタントに美味しいコーヒー豆を買う為には確かに賢い方法だと膝を叩いた。

 

そもそも珈琲店に行くとメニューに載っている名称はおおよそ3通りのパターンがある。一つ目はスタバに代表されるように固有名詞を付けて独自の飲料を提供するパターン、もう一つがアメリカン・カプチーノ・ウィンナーなど一般的な飲料の名称で提供するパターン、そして最後がコロンビア・キリマンジャロ・マンデリンなど地名がそのまま商品名になっているパターンだ。それら選択肢の中で、豆の味をそのまま楽しもうと思うと3つ目の地名パターンに行き着くことが多いのではなかろうか。というか豆のまま家に持ち帰ろうとすると往々にして3つ目の選択肢しかなくなってしまうのではなかろうか。

 

考えてみればコーヒー豆の分類は実に大雑把と言わずにはいられない。本当に「ケニアコーヒー」と名のついたコーヒーはいつどの珈琲店で飲んでも同じケニアの味がするのだろうか。ちょっと俄かには信じられない。小さな島国日本でさえ産地によって米の味は全くと言っていいほど異なるのだ。ワインに至ってはヴィンテージチャートを見ればフランスの国土が地方ごとに細かく分けられ、さらに毎年の味の変動をも詳細に明記されていることが分かる。加えて葡萄品種の云々、シャトーの云々と考慮材料をこれでもかと並べ立てることすら出来る。一方でコーヒーが語るのは産地、しかも広範囲をカバーする地名のみ。まるで消費者がそのたった一点のパラメータしか考慮できないみたいだ。JRA場外販売所でワンカップ大関と競馬新聞片手にクダ巻いてるオッサンですら父馬は誰で母方の爺さん馬は誰で過去の戦績はどうで騎手は誰で距離はどうでと多数のパラメータに睨みを利かせているのだ。舐めてもらっちゃ困る。ケニア。以上終了。怠慢じゃないか。これでは一つ一つもっと個性があるはずのコーヒー豆があまりに不憫だ。

 

そんなことを思いながらグーグル先生に怒りの質問をぶつけてみるとやはり予想通りの回答が跳ね返ってきた。国名だけで片付けて良いような簡単な世界ではなさそうだ。例を挙げてみよう。

コロンビア マタレドンタ:コロンビア南西部の山岳地帯にあるナリーニョ県内「マタレドンタ農園」で生産されたアラビカ・カトゥーラ種のコーヒー豆。インパクトのある柑橘系のコク、華やかな酸味、複雑なスパイシーさが特徴。滑らかな濃度を加えるためやや浅めの「フルシティロースト」が適する。

思った通り知ったかぶりの武器となる横文字がずらずら出てくる。やはり細かな地方による特徴もあれば品種による差異もあるようだ。ついでに焙煎方法が味を左右することも思い出させてくれた。

 

そんな訳で自分の好みのコーヒー豆に出会うことは非常に難しい。多くの場合明文化されている情報は国名だけだし、その国名から味を想像することは困難を極めるからだ。すると求められるのはワインでいうソムリエのような存在だ。自分の好みを熟知してくれた上で自分が好むであろう選択肢を提案してくれるパートナーだ。冒頭の話にようやく戻るが、「いつもの」珈琲店で豆を購入することはそういう意味で賢い消費者の立ち回りだ。自分の好みを知るマスターが選ぶコーヒー豆はまた自分の好みである確率が高く、常に良質な味が担保されるからだ。自分の「好き」を外在化させることが自分の「好き」の回収に繋がりやすくなる構造だ。

 

東京に8年住んだがこの巨大都市において自分の好きな服を買える場所が今のところ見つけらていない。ここ数年服を購入するのはいつも決まって名古屋の小ぢんまりとしたセレクトショップだ。決まったブランドに行く訳でもなく下北で古着を物色する訳でもなく僕が服を買いに行くのは決まって名古屋で控えめなオーナーが営むセレクトショップだ。しばしば服どこで買ってるのと尋ねられることがあるが名古屋だ。ニューヨークでもテルアビブでも先週のラスベガスでも「その服どこで買ったんだ」と聞かれたが残念ながらNAGOYAだ。僕はその店のオーナーに全幅の信頼を置いている。この数年間散々あれこれ買ってきたワタナベの趣味はいよいよ筒抜けとなり今や顔を合わせた瞬間に「新しくこんなの入ったよ」と提案され速攻で購入が決まる。好みをオーナーに外在化したことで自分の好きに超効率的に辿り着くことが出来ている。極めて幸せだ。

 

「好き」に出会えている時間を可能な限り長くすることが人生における是としたとき、自分の「好き」を発信することは同時に「好き」を獲得するための大きな一助となると言える。という訳でこれからも僕は僕の好きをたくさん見つけてたくさん発信していきたい。そして同時に色んな人の好きに触れたい。その人の好きと自分との接点にまた自分の好きを見つけ世界が広がる気がするから。