【知覚の知覚 2/3】後悔減らしたいじゃん

昨日の続きだけど一応読み切りっぽくなってます)

 

人生において後悔の念を抱くことは数え切れないほどあった。例えば中高生時代、テスト期間において目の前にやらねばならないテスト勉強があるにも関わらずテレビを見てしまう・漫画を読んでしまう・現代に置き換えればyoutubeを見てしまうということはザラにあり、その都度「あ~~~今の2時間ちゃんと勉強していれば今ごろ数学は終えてあと英語だけのはずだったのに~~~」という類のマイクロ後悔を繰り返し抱き続けていた。自分は基本的に意思の弱い人間だったのでその時一番やらねばならないことが明確にあったとしても他のことに惹かれ注意力が散漫になることは日常茶飯事であり、その分マイクロ後悔が到来する機会にも恵まれていた。

 

時間軸を伸縮すれば異なるタイプの後悔にも容易に出会うことができる。同じテスト期間に抱く後悔でも「授業中寝ずに真面目に聞いていればよかった…」という過去数カ月の自分に対する嫌悪もあるし、もっと長いスパンだと就職活動のタイミングもしくは大学卒業がチラつくタイミングで「なんで大学時代もっと将来のこと考えてこなかったんだろう…」という反省を抱くことは日本人学生としては決して珍しいケースではないのではなかろうかと思う。逆に時間軸の短い後悔であれば例えば誰かとの会話の中で「今の一言言わなければよかった…」と、セリフを発した数秒後に悔やまれることが一つの適例かもしれない。

そして今回ワタナベは新しいタイプの、極めて時間軸の短い後悔を経験している。

 

瞑想という言葉は多かれ少なかれ誰もがご存知のことかと思う。ただその行為に対する印象は人それぞれだろう。僧侶がやることでしょ自分には関係ないね、宗教じみてて謎だしなんか怖い、マインドフルネスでしょ聞いたことはあるよ、等々の声が上ることと想像する。超すっ飛ばして直近のトレンドを語ると主にアメリカ西海岸を中心に「東洋のメディテーションっつースピリチュアルなアクティビティーがブレインをクリアにするっつって超グッドらしいよ」という噂が立ち、いつしか噂というレベルを超えて一部の間で流行するようになった。やれスティーブ・ジョブズが実践していた、やれGoogleが研修で取り入れたと言ってその広がり様は並のものではない。このトレンドを受け、今や素人でも瞑想にとっつき易くなるためのアプリやマシンも存在する程だ。

 

経験してナンボ人間ことワタナベもとりあえずやってみるかーのノリで片足を突っ込んだのがかれこれ数年前だ。その都度何らかのアプリや何らかの研修で10分~15分の瞑想を体験した。呼吸に集中しなさいだの周りの音に耳を傾けてみなさいだのお尻と椅子との接地面に感じる圧力を意識してみなさいだの、様々なインストラクションに出会ったしその度に疑いを持たず全身全霊で意識をそこに向け行為に及んだ。しかし残念ながらそれらの体験から特段の興味深い経験・示唆を見出すことはなかったし、当然のことながら習慣化することもなかった。瞑想の効果を享受する為には一定以上の瞑想家レベルに達せねばならず、その境地に至るまではとにかくトレーニングし続けるしかないという旨の注意事項も心得ていたが、そもそも意思の弱い自分は効果を実感する前にインセンティブを失ってしまいいつも三日坊主という二の舞を演じ続けていた。

 

喜ばしいことに今回はこのループから脱する兆しを迎えつつある。きっかけはあるマシンを手に入れたことだ。MUSEという名のそれは手に乗るサイズの機械で、両耳に引っ掛ける部分と、前頭葉をぐるっと囲むようにして両耳パーツを橋渡しする一本のバンド部分からなる。バンド部分が自分の脳波を測定してくれリアルタイムで「あなた今うまく瞑想できてますよー」「今注意力散漫ですよー」などと教えてくれるのだ。実は数年前にもMUSEを使ってみたことがあったがその時は瞑想に対する興味すら薄かったことから感想は「へー」の一言で終わってしまった。しかし度重なる体験と挫折経験を携えた今再びMUSEに出会うと一言以上の感想がそこに待っていた。

 

ようやく後悔の話に戻るが、瞑想中に抱く後悔のスピードは他の何をも凌駕する速さだ。今行なっている瞑想は自分の呼吸に集中するというやつだが、自分の意識を呼吸だけで満たすという極めて簡単そうに聞こえる行為がこれ以上ないというほど難しい。

吸ってー吐いてー鼻に意識向けろ鼻を意識しろーあ、これ面白いな瞑想のことブログに書こ…ああいかんいかん他ごと考えちゃいけなんだめっちゃ簡単に集中力きれるやん…ってその自覚すら今は捨てないといけないじゃん呼吸に集中するんだ俺…って人の思考って過去の思考に覆いかぶさるようにして無限に発生してくんなマトリョーシカみたいだオモロ…ってだから呼吸に集中しろよ俺、はい吸ってー吐いてー

という具合に今の自分のレベルでは呼吸に集中できている時間は極めて少数派でありほとんどの時間は他ごとに思考がふらふらと流れ彷徨っているかその漂流に対する後悔の念が押し寄せているかのどちらかだ。文字に起こすと冗長になってしまうが実際には刹那的な瞬間に複数の思考や感情がどっと押し寄せたり瞬時に切り替わったりするので瞑想においてはコンマ何秒前に対する後悔がコンマ何秒周期で到来する、言わばナノ後悔を味わっていることになる。MUSEはイチイチその事実を教えてくれるよき先生の役割を買ってくれている。

修行を積んでナノ後悔の時間を減らすことができれば自分の意思の弱さを払拭することに繋がり、結果的にマイクロ後悔の減少、もっと長い目で見た後悔の低減が実現すると信じて暫くこれを続けていきたい。

 

(結局昨日の内容回収できなかったのでもう1日続きます…)