無変化という挑戦

社会人になって丸3年が経過した。独身男性として会社へのアクセスだけを考え新宿区の狭い1Kに住んだ1年目、結婚するんだったら夫婦別々になれる部屋があった方が良い・絶対に2LDK以上にしておけという周囲からの圧倒的多数意見を押し切って目黒区の1LDKに住んだ2年目、現地不動産屋にこの地域では最低でもベッドルーム2つからスタートだと言われ渋々テルアビブの3LDKに住んだ3年目、思い返すにはまだ僅かほどの月日しか経っていないがそれにしても1095日という期間はワタナベの認知世界において数秒に凝縮されている。

 

直近数回の4月を振り返ると、学生から社会人になった1年目、独身者から既婚者になった2年目、日本在住から海外在住になった3年目、という具合に生活に大きな変化をもたらすイベントが連続して重なっている。「変化の多い4月」という霞のような集合的無意識が頑強な塊となって惑星ワタナベ上に毎年のように着弾している。一方で今回の4月は最近のデコボコエイプリル3兄弟に比べれば通常運行を持続できるようなフラットな月となった。変化って抵抗感じるけど素敵要素もいっぱい詰まってるよね、変化最高!変化ラブ❤︎なホワイトカラーミレニアルジャパン人ど真ん中の価値観を持ち合わせる自分ではあるが、だからこそ今回の無変化は今までに経験したことのない新しい挑戦になると考えている。

 

新しい環境に身を投じること、新しい課題に挑戦すること、新しい人との繋がりを得ること、何であれ自らを変化の最中に晒すことはそれまで自分の発揮したことなかった能力を引っ張り出すことに繋がり、ひいてはキャパシティを広げることになる。故にわー変化素敵万々歳、どうぞ積極的に自分という人間のフロンティアを拡張していきましょうという意見には大いに賛成できる。

しかし一方であまりにも変化変化と変化教に傾倒してしまっては、それが逃げや言い訳に繋がってしまう危険性も孕んでいると感じる。自分の周囲に変化が巻き起こっているからといってそれが即自らにポジティブな作用をもたらす訳ではない。たとえ肩書きや取り組む対象が変わっても一番大事な変化の対象、つまり当人の中身が置いてけぼりになっては元も子もない。色々挑戦してる「風」、色々変わっている「風」、というスタンドプレー的な変化は努めて避けたい。

 

社会人になって経済的に自立した青年、既婚者になって支える家族を持った青年、海外赴任が決まって未知の環境で生活するようになった青年、いずれも立派な人生の転機を迎えているように見える。見えるが、どうしてその事実だけで満足できよう。形式ばった略歴に載せる対象として真っ先に槍玉に挙げられるような出来事からは、自分という人間のもっと本質的な変化、生々しい潮流を嗅ぎ取ることは極めて難しい。変わっているのは社会における相対的なポジションだけであってそもそも当人は絶対的には何も変わっていないという可能性すら否定できない。

こう考えを巡らすことで自身を牽制しながらも、社会人になった自分、既婚者になった自分、海外駐在者になった自分をして、何とも言い難い安心感のようなものを抱いている節は拭いきれない。これらの壮大な変化がスタンドプレーではなく、自分の中に今後も爪痕を残し続ける大きなダイナミズムとして存在し続けるには、とにかくそのイベントに真摯に向き合い続けることが肝要だと感じる。変化を単なる点ではなく、その後も連綿と続く帯の一端として捉えるのだ青年よ。

 

大企業の人事に前もっての確定事項は何一つないという前提ではあるが、少なくともあと2年、合計3年は今の地にいたいという意思を持っている。3年という数字は海外赴任が決定した段階から変わらず脳内に抱いているが、同じ主張であっても1年前と今では包含する意図が全く異なる。1年前は海外での仕事の様子など元より現地での生活状況すらも全く想像できず、何年いたい・いるつもりがあるかなど判断できる材料が毛ほどもなかった。よって半ばボスの鏡を演じるかのように「3年ぐらいは居た方が良いと思うんだよねー」「そっすね、3年ぐらいっすねー」とオウム返しした結果口がサンネンという音を発しているに過ぎなかった。

しかし今では強い意志を持って最低3年滞在したいと言い放つことができる。3年滞在して得られる財産、そしてそこに至るまでのチャレンジが確かに存在すると確信している。

 

計2年の海外赴任、つまり今から1年後の帰国という選択を取った方がある意味では自分の大好きな「変化」を早いスパンで迎えることができ、ともすれば喜ばしいことなのかもしれない。しかし1年の経験を携えた今なら言える。もしあと1年しか駐在期間がなかったら、悪い意味でやり抜けれてしまう。帯のもう一端を視野に入れながら、どこかウイニングランの姿勢で仕事に向かってしまう。

その油断を断ち切り、今この瞬間連綿と紡がれている帯を自分の人生に色濃く巻き付けるためにも、あと2年はこの地に留まった方が身の為だと第六感が叫んでいる。よりシンドイ思いをするためには、より自分に負荷をかけるためには、もう暫くここに居座れともう一人のボクが囁いている。

 

という訳で今年は環境の変化という言い訳を自分から取り上げ、無変化の中で腰を据えて自らを試すという挑戦の年になる。毎年思ってるけど今年の挑戦もエライ大変そうだ。望むところだ令和元年。

浮き足立つことなく目の前のことに没頭しますという自分への宣戦布告と、まだしばらく遠い彼方にいるので皆さん是非遊びに来てくださいというアピールでした。なんだかんだ1-2ヶ月に1組の頻度で日本からお客さんを招いている我が家は本当に幸せです。