ねえそんなに急がずにゆっくり見ようよ

スーパーのお菓子コーナーで興奮が止まらなかった人ー? ハーイ

薬局行くと理由もなくテンションが上がってしまう人ー? ハーイ

文房具屋ではいくらでも時間潰せてしまう自信ある人ー? ハーイ

家具屋に行くと用もないのにあれこれ回ってしまう人ー? ハーイ

ホームセンターに行くたび無性にボルテージ上がる人ー? ハーイ

本屋に行くと何故だかトイレ(大)に行きたくなる人ー? ハーイ

 

人は皆、なんらかの「なんか知らんけどテンション上がっちまうスポット」を持っているのではなかろうか。例えばLOFT、例えば東急ハンズ、例えばドンキなど固有名詞に紐づいた興奮もあるかもしれない。IKEAコストコなどはその心理を巧みに操り消費者の財布を緩めることに長けていることで名高い。

因みに本屋で便意が引き起こされる現象には「青木まりこ現象」という名称がついているそうだ。他にも数多容易に挙げられるだろう無意識下の共通経験を差し置いて唯一名前がついていることに日本人の便に対する愛を感じずにはいられない。youtubeで「日本人の便愛、その衝撃的理由に一同驚愕!」という動画を作れば瞬く間に嵐のニュースに肩を並べるのではなかろうか。

 

冒頭に並べたコールアンドレスポンスはいずれも多かれ少なかれ僕自身にも心当たりあるイベントだ。スーパーでは他のあらゆる売り場を抑えてお菓子コーナーは燦然と輝いていたし(あとパンコーナーにあるポケモンパンも光を放っていた)、薬局に行けば必要でもない化粧水やら洗面用品やらを「1回試してみよー」とついカゴに入れてしまうし、筆箱の中は既にいっぱいなのに文具店で新しいペンやノートをエンドレスに物色してしまうし、ホームセンターでは一生使うことのないであろう大小様々なネジや用途別の砂を前に何時間でも歩けてしまう。家具屋に至っては今までの人生で何度か「家具屋の中をただ歩き回り品物を物色する」という遊びをしたことがある程だ。予定帳には「誰それと家具屋」と書き込み文字通り家具屋内の散歩に終始していたのだ。引っ越しや結婚等の具体的な予定を一切持たない中でただただ友達とこういう家具置きたいなーとかこういう部屋に住みたいなーと言って歩き回るのは時間の無駄に思えてしかしその人の価値感・人生観が見えてくるから存外面白い。当時は「人生観」だなんて大袈裟なことは一切考えずただ目の前の家具に興奮を見せるだけの鼻垂れ小僧だったことは言うまでもないが。

 

先日妻とIKEAに行った際とある一言を刺された「ねえそんなに急がずにゆっくり見ようよ」。しばしば典型的な男女のギャップとして揶揄される出来事がそこにあった。目的である布団カバーと寝室用のローテーブルのみをひた目指そうとするワタナベに対しワタナベワイフは目の前に広がる展示を一つ一つ楽しもうとしていた。目的達成を目指そうとする彼、プロセスを楽しもうとする彼女の関係が見事なまでに浮き彫りになりそれまで無意識的に歩みを速めていた僕は途端にペースを落とした。絵に描いたような男女関係だったね今、すげえおもろい、と言いながらふと思うことがあった。

 

あれ、自分って家具屋で目的もなくフラフラすること大好きだったはずなのに何か人間変わってない?

 

そのままを妻に伝えると彼女も確かにと漏らす。おかしい。いつから僕の頭は布団カバーとローテーブルだけに狙いを定めるようになったのだ。あっちにもこっちにも興味の対象が飛び回っていた自分はどこに行ってしまったのだ。どっちの性格でいることも厭わないが一体何が自分を変えてしまっているのかだけはっきりさせてくれ。そうして一通り頭を抱えて迎えた結論は「目的設定が人の性格を決定付ける」というものだった。

 

思えばホームセンターでもワクワクする場合とそうでない時があった。特に理由もなく、例えばただ父の付き添いで行くホームセンターは自分にとって自由時間を目一杯享受できるオアシスだった。ネジだろうと砂だろうとペットだろうととにかく目につくもの全てが面白かったし、父が用事を済ませるその時までいつまででも時間を潰せる遊び場だった。一方で例えば学祭の準備のために訪れるホームセンターでの体験は全く別物だった。友達との共同作業、あるいは作品を作り上げる青春の一幕という類の面白さがそこにあることには違いなかったが、先述したワクワクは不思議なまでに感じられなかった。常に頭は「必要な●●と▲▲と✖︎✖︎」で満たされ、使命感とも圧迫感とも呼べる感覚が全身を包み、同じホームセンターという場に対して抱く心的状態は全くの別物だった。

 

IKEA、もしくは家具屋全般にも同じことが言える。不思議なものでこの僕は最初の段階で「フラフラしに行く」と目的を設定をすればいくらでもフラフラ出来るが、「布団カバーとローテーブルを買いに行く」という目的を得てしまった途端にフラフラすることを受け付けなくなるらしい。現に今この瞬間でも友達と無目的的に家具屋に行けと言われれば喜んで行きますと言える自分がいる。つまり僕という人間が変わってしまった訳ではなく、その機会ごとに目的設定が異なり、それぞれの目的に応じた自分なりの振る舞いがあるにすぎなかったのだ。

 

「人は目的設定によってガラッと性格・行動様式が変わりうるね、目的はよく吟味して定めたいね」という結論を1つ置きつつ、もう1つ今一度自覚したいのはどんな日常にも面白い示唆が転がっているだろうねということだ。ウィンドウショッピングという言葉が代表するように得てして人は「何が欲しいかははっきり分からないけど、なんとなく欲しいものを探しに行く」ことを十分な行動目的としうる。自分にとって家具屋をフラフラすることやホームセンターで時間を潰すのがまさにこれだ。何の目的も達成していないように思えるこの行動は、実は友達の人生観を知る、その他何らかの示唆を得る、更にそれらを通して自分自身の価値観を見極めるというこの上なく高尚な目的を達成することに繋がりうる。

 

「ねえそんなに急がずにゆっくり見ようよ」。それは日常のどんな場面にも当てはまる一言かもしれない。