私、空を聞くのが好きなんだよね

万事一切灰燼と為せ 流刃若火

水天逆巻け 捩花 

穿て 厳霊丸

花風紊れて花神啼き 天風紊れて天魔嗤う 花天狂骨

 

か、かっけえ…なんと厨二心のくすぐられる文字列なんだ…

という経験は多かれ少なかれ一定数の男子諸君が通過されてきた道ではなかろうか。因みに上記の読み方は以下の通りだ。

 

ばんしょういっさいかいじんとなせ りゅうじんじゃっか

すいてんさかまけ ねじばな

うがて ごんりょうまる

はなかぜみだれてかしんなき てんぷうみだれててんまわらう かてんきょうこつ

 

これらは少年ジャンプで連載されていたBLEACHという漫画において各キャラクターたちが自身の剣を鞘から抜きジャジャーンとパワーを解き放つ際に言い放たれる言葉たちだ。基本構成としての「命令形の動詞+剣の名前」をベースに適宜形容詞や不規則変化が見られる。仮に現代を生きるオフィスワーカーがBLEACHの世界へ迷い込んだとすると「立ち上がれ ウィンドーズエイト」と叫んで電源ボタンを押すこととなる。もしこの世界観に染まりきれた暁には同じことを言うにしても「聳立せよ 八輪咲窓(しょうりつせよ はちりんしょうそう)」ぐらいのゴツい漢字たちを並べられるかもしれない。

 

この漫画はイカした絵面も相待ってオシャレ漫画の代名詞としてしばしば言及される。「稀有な漢字や動詞を用いること」も確かに人の心をくすぐるかもしれないが、それと同じぐらい「頻繁に使われる単語を意外性の伴う形で使うこと」も僕らの気持ちを揺さぶるのではないかというのが今日投げたいテーマだ。

 

例えば日本古来の芸道の一つに香りを楽しむ「香道」がある。香道では香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」という。香りを聞く。なにそれめっちゃオシャレやんけと初めての香道体験で心震わせたことをよく覚えている。しかしこの言葉遣いはただ心震わせるだけでなくどこか実体験を伴う納得感もある。もちろん香りを知覚するにあたり僕らの鼓膜は1ミリも震えることはなく、はたらくのはただひたすら嗅覚受容体ばかりであることに変わりはない。しかし意識として声にならない香りの声に耳を傾けようとすると、それまでとは違う香りに対する知覚がそこに生まれるような気がするのだ。香道とは平たく言えば香りの神経衰弱なのだが、ただ一心に嗅覚的特徴を覚えようとするよりも、声のような情報として記憶したり(=聞く)、絵のような情報に変換することで(=見る)、より嗅覚刺激情報を記憶として出し入れしやすくなるように思うのだ。香りはただ鼻で香っているときよりも、同時に聞いて、同時に見たときの方がより高い解像度で咀嚼できるように思うのだ。 因みに香道が輪をかけてイカすのはその香りを甘味・苦味・辛味などの味で表現する点だ。洒落っ気が止まんねえな。

 

このことは香道に限らず日常生活にも応用できるように思う。夕日を聞いてみたり、青空を嗅いでみたり、音楽を観てみたりすることが僕らの生活の解像度を上げ、より心が喜ぶことに繋がるかもしれない。そして「私、空を聞くのが好きなんだよね」「僕、声を見るのが趣味なんだよね」と言えたらちょっとオシャレかもしれないし、ちょっとヤバイやつと思われるかもしれない。