カレー味のカレー

先進国・途上国という分類は相対化の産物であることに一片の疑う余地も挟ませないが、24年間日本から一歩も外に出ることなく縁側で緑茶を飲んでは炬燵で蜜柑をほう張り風鈴の下でそうめんを啜って生きてきたのほほん純ジャパな自分には身体経験的な比較対象がなく、何が先を進み、何がその後を追っているのかイマイチ腹に落ちないところがあった。

 

異国の地で生活を始めてみて、一つの当たり前に気付く。A国がB国に一様に優れているとか進んでいるとかいうことはなく、あちらは立つがこちらは立たずというケースバイケースこそが現実世界に横たわる現状だ。我々を取り巻くのはカレー味のうんことうんこ味のカレーの戦いだ。

 

例えばこの国はガソリンスタンドで財布を出す必要がない。自分が契約しているスタンドに行けば、いとも簡単にガソリンを満たせる。給油機のノズルと車の給油口にそれぞれチップが埋め込まれており、ノズルを挿すと勝手に会員情報が認証され、給油分を口座から引き落とす仕組みになっているからだ。行って、停めて、挿して、入れて、戻して、そのまま出発するだけ。言語が分からなくても、画面操作に疎くても、バリアになるものは何もない。あまりの驚きにこの感動を現地人に伝えると「むしろ日本はどうやってるの?」「カードかキャッシュだよ」「マジかよ日本て進んでる国だと思ってたのに」という始末。思えばエネゴリ君もウルトラマンも心も満タンにも最近見なくなったけどみんな生きてるならまとめてチップをばら撒いてくれ。

 

例えばこの国は保険証を片手に診療時間前から病院に並ぶ必要がない(らしい)。まず国民が加入する大手保険会社が漏れなく直営のクリニックを保有しており、保険に加入するとそのグループのアプリをダウンロードすることになる。アプリ上では月々の保険支払いや契約内容の確認等に留まらず、最寄りのクリニック情報確認から受診予約まで全て一括管理できる。予約して、行って、受診して、帰るだけ。風邪菌蔓延する待合室で延々座り続ける必要もなく、いつになったら呼ばれるか分からない環境下で悶々と時間を浪費することもない。あまりの驚愕にこの衝撃を現地人に伝えると「むしろ日本はどうやってるの?」「みんな朝早くから並んだりしてるよ」「マジかよ日本て進んでる国だと思ってたのに」という始末。もはやこの声は日本のどこに届けて良いかも分からない。

 

しかしこれらを踏まえて全てが近未来的か、日本よりも便利かと言えば、答えは強めの否である。

例えば建造物とそれに付随する様々な機能は基本的に不完全だ。綺麗な室内・洗練されている建物に足を踏み込んでもふと壁に目をやると塗装が剥げていたりタイルが剥がれていたり、とにかく往々にしてディテールが粗い。自分の住む家も、コンセントは一部壁から外れて中の配線がコンニチハしてるし、一部収納を開けると中でケーブル類が東京メトロ並みの入り組んだ様相を見せているし、キッチンの窓に至っては開かずのままだ。大家さんに「これいつ修理してもらえますかねえ。。」と電話で聞くと「それは普通の修理工じゃ直せない。この辺にいる業者じゃ無理なんだ。試したけど無理だったんだ。」とのこと。じゃあ泥棒に入られる心配も減りますねどうもありがとう。助けてルパン。

 

例えば携帯電話会社は大概ないい加減ぷりだ。秘書さんが「シン、アタシすっごく覚えやすい番号をオーダーしたら最高の番号が来たわよ!」と言ってほぼゾロ目みたいな文句なしの番号を用意してくれ、ウホーーーサンキューーーじゃあついでに電話してみるわーーーピポパポ「ハローこちら@+;:%&$#」知らん人に掛かった。慌てて秘書さんが確認すると電話会社「ごめん、なんか間違えちゃったからそのままその番号使って」とのことでゾロ目と比べ地獄のような文字列が手中に収まる。嗚呼アンラッキーと嘆いていると全く同じことが奥さんの番号でも起きる。この国では約束の番号を手に入れることすら困難らしい。

城本クリニックとか下手するとこの国の電話会社にまんまとやられた口ではなかろうか。当初思惑通りの番号を獲得したPR担当者が「最高のゴロが手に入った!これを音楽に乗せれば誰もが口ずさむCMを作ることが出来るぞ!早速作曲に取り掛かれ!」と言って音楽が完成した矢先、電話会社から「すんません間違えちゃった手配した実際の番号はこれ」と言われるも時既に遅し、仕方なく当初のメロディーにゴロもヘッタクレもない番号を乗せて歌うことに。ゼロイチニーゼロイチマルナナキューニーッキュ、城本クリニック。幸いにも彼らは不思議なまでに頭に残るメロディーと異様なまでに更新されない単一CM連打作戦とゴロゴロ転がり回るお姉さんの印象によってくっきりと視聴者の脳裏に焼き付いているという点で勝利を手にしていると言えよう。

 

この国から日本を見るにせよ、日本からこの国を見るにせよ、共通するのは足らぬを知らねば足るに気付きづらいしその逆も然りということだ。ガソリンスタンドのチップも病院のアプリも、この国の人たちのリアクションは「すごいでしょ~進んでるでしょ~」ではなく「え、日本てそれないの!?」だった。自分はこれまで建物のディテールを気にしたこともなければ約束の電話番号が付与されることに何の安堵も感じたことはなかったが、この地の状況を目の当たりにして初めて日本での恩恵に感嘆した。人は風邪をひいて初めて健康の日々を慈しむし、失って初めて愛を知る。猛烈な腹痛に襲われて初めて「なんで家出る前にトイレ行かなかったんだ」ってなる。

 

広義の意味で足ると足らぬの両方を知る人は、その差を認識し人に知らしめることが出来るという点で強い。

単純に考えれば自動車にチップを埋め込む術や医療現場・保険の世界をアプリに収納する術を日本に輸入すればそれだけで一定の利便性向上を世の中に齎すことが出来る。隅々まで行き届いた塗装、サービスをこの国で提供すれば一定の「気持ちよさ」を世の中に齎すことが出来る。

そして実体験を元に足る/足らぬを認識するレベルから、想像を駆使してそれを把握する域に達するのが「単純に考えれば」を超えた、広義の意味での「知る」になる。

iPodのクイックホイールやiPhoneの少入力多出力が実現する「気持ちよさ」は、ジョブズが現実の足らぬ性と彼の中だけにある足る性を知っており、そのギャップを埋めることに邁進してくれたからこそ存在し、世の中の人をこれ程までに喜ばせている。「お前らが食ってんのはうんこ味のカレー。本当のカレーはこれ。」と彼が示してくれたお陰でカレー性の高いカレーを食べられている。

 

世の中にはまだカレー味だと思ってうんこ味を食べてる人が沢山いるかもしれないし、自分たちが食べてるカレーにもどれ程にうんこ性が残っているか、よくよく観察し直す価値はある。