トイレのプリウス

大変汚い話になってしまうことを先んじてお断りしたい。

この国の人たちはすごい勢いで「大」なさる。自分の持つオノマトペ辞典ではとてもカバーできない騒音をかき鳴らして排泄給わる。隣の個室から「小鹿でも誕生したのかな?」と思わせるような壮絶なドラマが伝わってくる。ディスカバリーチャンネルで30分は取り上げられるコンテンツ力がそこにはある。食べているものの差、体質の差、そして何より心持ちの差がありありと描写されるトイレの個室という小宇宙に、本日は足を踏み入れたい。

 

「べっぱぴぼぼぼぼごきすぷあばばばばばどーーーーんぶぶぶ」

もしも隣の個室からこんなアッパーなサウンドが聞こえてきたら貴方ならどうするだろうか。恐れをなしてそそくさと退散するもの、我も参らんとばかりにセッションに加わるもの、ただそのチューンに身を委ねて漂うように体を揺らすもの。人によってリアクションは様々だろう。自分はというと、特に第三者から見て取れる明らかな反応は示さない。ただし実は今にも産み落とさんとするそれが、人知れずちょっと引っ込む。

 

日常生活におけるトイレ空間とそこでの体験だけを切り取ると、多くの日本人が温室育ちと言われてもやむを得ないのが現実だろう。大正義ウォシュレット首相、統一王者ウォームレット将軍の存在は言及するまでもない。加えて守護神脱臭大王や大天使音姫ザ・プリンスも鎮座している。少々強引ながらも彼らを横並びに四皇と呼称してみよう。この四皇がリードを取る形で日本のトイレシーンは今なお群雄割拠の様相を成している。足元と便器内をほんのりと照らし上げる照明や優しく手招きするように開く蓋、慎ましやかな渦を巻いて流れた後モコモコと泡を生み出す泡風呂風トイレなど、我こそは次なる四皇にならんもしくは四皇を七武海にせしめんとする動きがそこここで確認できる。しかも日本というガラパゴスにおいて特異的に生態系が進化している。日本のトイレを軽く調べてみると「トイレ界のフェラーリ」「トイレ界のロールスロイス」「トイレ界のテスラ」という文字列が飛び込んでくる。ここから分かる通り世界的に見ても日本は超トイレ先進国であると同時に、日本人のトイレ評論家からはオッサン臭がプンプンと匂ってくる。

 

トイレを高級車に喩える試みではその着眼点によって結果がどうとでも転び得そうだ。例えば人の存在感という観点ではこの国でも十分に勝負していける。それどころか日本に圧勝できるだろう。個室内でのその静けさ・慎ましさたるや、日本人はさながらトイレ界のプリウスだ。固体を生産する騒音どころか液体の落下音ですら外に漏らすまいと大天使音姫ザ・プリンスを駆使する。空間を自分以外の何物かで満たし、己という存在を極力無に近づける。純ジャパたる自分もその例外ではない。有機物を生産する有機体でありながらも、その瞬間だけはできる限り無機的に存在したい。そして一切の痕跡を残したくない。学生時代のインターン先ではトイレに「モテる男は座りション!Thanks!」というステッカーが貼ってあった。座りションを奨励する民族がこの惑星上で他にあろうか。

 

その点では言うまでもなくこの国の人々こそトイレ界のフェラーリだ。むき出しのターボエンジンをこれ見よがしに積み、惜しみなくアクセルを踏み込むかの如きけたたましさがこの国の売りだ。地響きにも似た断続的な低音は周囲の注目を引かないはずがない。しかしこともあろうかこの国では誰もがフェラーリオーナーだ。互いにブンブンふかし合って皆が自分の走りに酔いしれている。ひっそりと片隅の個室でかたずをのむのは異国の地から来たプリウス乗りのワタナベただ一人だ。たとえこの地に四皇が舞い降りたとしても「うるせえ!おれは出せる!!(ドンッ!!!)」という具合に一蹴されてしまうのが関の山だろう。

 

つくづく、何を食べてどう出せばそんな音が奏でられるのだろうと不思議に思う。まずどう考えても動物としての差を思い知らされるような音量を彼らは誇っている。そのデシベルで発電でもしたらどうですかというぐらい音エネルギーが放出されているように思う。位置エネルギーを利用した脱糞発電は比較的安直に発想できるが、しかしまさか音エネルギーの利用ともなると一枚上の発想と言えるのではなかろうか。音を出す音姫ではなく音を吸収する収音王子ならば上陸の余地があるかもしれない。

加えて不可解なメロディーラインがそこに乗っかってくる。どんなブツを引っ張り出したら、そしてどんな姿勢を保っていたらその旋律が奏でられるのかと甚だ疑問に思うようなマジックが潜んでいる。相当な鍛錬を積んでも尚自分にできるか怪しいという点ではやはり生物としての作りの相違を認めざるを得ない。黒人歌手がしなるような柔らかさと力強さをその声に共存させられるように、この国の人は持って生まれた門の素質があるのかもしれない。

 

最後にマインドセットの違いは顕著であると言わざるを得ない。個室の扉を開けっぱなしにして豪快に仁王立ちのまま放物線を描くこの国の人たちに「モテる男は座りション!」と叫んだところで「うるせえ!(ドンッ!!)」と返されて終わりだろう。流石の自分も「ねえねえ、う〇こ中ってどんなこと考えてる?」なんてド直球を投げることはできないが、少なくとも幾度かの個室経験を通して周囲からの雰囲気を感じ取るに、明らかに周囲のことは気にしていない。生理現象の何を恥じることがある?と言わんばかりの威圧感を壁越しに読み取ることができる。

日常生活において、敢えて現地文化に合わせること・敢えて日本文化を維持することに意識を向ける場面は折々で直面するが、こればかりは意地でも日本人であり続けたいとプリウスワタナベは切に噛み締める。

 

最近、水滴が水面に落下する際に生じる「ポチャン」という音のメカニズムが明らかになったとして話題だ。こんな身近で素朴な現象でも世界初の発見になるんだと素直に感動したものだが、欲を言えばポチャンの前に生じる音についても是非世界レベルで注意喚起して頂けたら嬉しい。僕のが引っ込まないためにも。