きっと、おっぱいに包まれている

地元を離れてからそろそろ9年の月日が過ぎようとしている。愛知県の工業地帯ど真ん中に生まれたワタナベ少年は一歩また一歩と人生のあゆみを進める毎に新しい刺激に晒されてきた。15歳で人生初の受験を経験し実家近くの公立中学から自転車と電車を使って通学する県内の進学校に駒を進めたときには世の中にはこんなに勤勉で沢山の知識を持った人たちがごろごろいるのかと衝撃を受けた。ワタナベは地元でよく見る光景であった原付とパトカーのカーチェイス話で周囲に刺激を発信した。18歳で東京に出てきたときには同じ日本人と言っても出身地によって会話の流れも笑いのツボも大きく違い、同じ言葉を話す民族内でこんなにもコミュニケーションの感覚が異なるのかとショックを受けた。ワタナベは地元の友達がグレーなクスリを売っているという話で周囲から引かれたりしていた。当時はまだ脱法ハーブ・危険ドラッグという言葉すら存在していなかった。

 

高校は実家から通っていたため昼間に得た刺激を夜家に帰っては家族に報告し消化していた。刺激は家の外で獲得し、家の中はそれを咀嚼・言語化する場だった。大学に入って寮生活が始まり24時間が刺激に満ちた。大学の講義(あまり出席していなかったが…)、日本各地から上京してきている友人との会話、サークル活動、昼間の活動は多様な刺激で溢れていたし寮に帰れば毎日が修学旅行のように夜な夜な誰かの部屋に集まっては遊んだり一緒に文句を言いながら課題をやっつけたりしていた。年に1,2回ある帰省のタイミングでそうして溜め込んだ刺激をまとめて整理し清算していた。愛知を離れても相変わらず実家は自分にとって落ち着きを取り戻す場、外で得た刺激を自分の血肉とする場だった。大学を卒業し、大学院を卒業し、就職し、引き続き東京での生活が続いても自分にとっての実家の役割はアンカーのように海中深く突き刺さり変わらず同じようなところに据えられていた。

 

去年4月に海外へ赴任して以降これまで以上に多様な価値観・考え方に囲まれ、自分を取り巻く刺激は量・質共に激増した。ある意味日常生活の何もかもが刺激として知覚され、今まで以上に多くの事柄へ意識が向くようになった。この知覚量の増加は日本にいようが海外にいようが変わらないことだった。

先月、赴任先メンバーと一緒に日本へ出張する機会があった。地球の裏側からはるばるやってきた同僚たちは隙間時間を見つけては東京中を散策していた。ある朝一人が「シン、墓地に変な木のスティックがあったんだけど何これ?」と写真を見せながら尋ねてきた。卒塔婆だった。自分が提供できる情報と言えばそれがSOTOBAという名前を有しているということと大昔トリビアの泉仕入れた知識である現代の寺院には卒塔婆用のプリンターが存在するんだよということだけだった。いつ何のために卒塔婆がどんな役を買い、その長細いフォルムに何を書き込むのかという一切の有益な情報を提供することができなかった。卒塔婆に限らず彼らの素朴な疑問は止むことを知らずその都度僕はgoogle先生にお伺いを立てながら又聞きの情報を同僚たちに伝えた。一連の出来事は自分の日本風景を見る目を変えた。

 

年末年始、再び日本に帰省してきた。ジャパンカルチャーがそこここに転がり落ちている正月は今の自分にとって刺激の宝庫だった。何故年越しには蕎麦を啜るのか、何故松竹梅は目出度さのシンボルとしてことある毎に言及されるのか、何故エスカレーターにおける2列でお並びください・歩かないでくださいという呼びかけをこの勤勉な民族は無視してしまうのか。海外メンバーだったら何を聞いてくるだろうと思いを馳せながら周囲を見渡してみると、例を挙げ出したらキリがないほどの「何故?」で溢れ返っていた。自分が即答できるもの、調べながら答えられるもの、そもそも唯一解はなく解釈が必要なもの、色んな種類の疑問が湧いてきた。今まで何の意識も向けず暮らしていた東京という街、空気のように自分を取り巻いていた日本文化が突如として猛烈な存在感を帯びだし忽然と目の前に躍り出てきた。日本という世界ががらりと変わった気がした。

 

そしてそれ以上に今回の帰省で大転換として感じられたことが実家の存在感だ。地元にいようとも東京に居を移そうとも、実家は変わらず外で得た刺激を消化吸収するために定期的に帰ってくる港だった。しかし今回は刺激を整理するばかりではなく、実家でこそ得られる刺激もあった。じいさんやばあさん、その他親戚との話を通じて新たに得られる気付きがあった。こんな家族の作り方、こんな夫婦のコミュニケーション、こんな人生の送り方があるんだと、見慣れたはずの関係性の中に新鮮な発見があった。我が家の夫婦生活はもうすぐ丸2年になるが東京に住んでいた前半1年では覚えることのなかった認識だった。妻と2人の生活という新たな港を得たことに加え、海外生活を通して得た世の中を見る新しいレンズが重なったことで、実家に対するアンカーの降ろし方が変わったのかもしれない。

刺激はどこにでも転がっているかもしれないし、認識一つでどんな退屈もビックリオモシロハプニングにできるのかもしれない。無刺激の、ましゅまろだかおっぱいだかに包まれているかの如き環境もそれはそれで感じられる幸福があるだろうが、刺激に身を晒すこともまた人生を楽しむための別の選択肢として持っておいて損はなさそうだ。