インテリな変態「ほーら息子の匂口がうるみごころとなってるよ」

ほんの少しの海外生活を通して「やっべ俺日本のこと全然説明できねえ」感が甚だしいのでこの心境の熱いうちに知識と経験増やしとけということで年末年始の帰省では人生で初めて巨大な神社への初詣を敢行した。2年前までは元旦に家族とお参りに行くことはあったものの朝になってから近所の小ぢんまりとした神社でお賽銭を投げて手を合わせるばかりで普段の神社経験以上に特別なものはなかった。非日常体験的な初詣は去年初めて妻の実家で年越しをしたときに味わった。妻の実家は毎年0時を回ると近所の神社へ初詣に行く習慣がある。ワインでへべれけになりつつ寒い寒いと言って腕を擦りながら真っ暗闇の中を歩いていくとそこには驚きの光景があった。村中から多くの人が集まり賽銭箱の前で長蛇の列を作って待っているのだ。毎年暖房にあたりながらゆく年くる年で他人事のように眺めていた世界がすぐ近所に存在していた。普段は固く閉められている本殿の扉は大きく解放され、中では関係者らしき人たちが長机を囲み、集まった人たちはおめでとうと新年の挨拶を交わし合い、村のリーダー的な人がお酒を配っては挨拶して回り、一杯引っ掛ける仲間を募っていた。人生26年目にして初めて目の当たりにするハレの場だった。

 

今年は熱田神宮を訪れた。日本三大神社の正月の様子を垣間見ると共に普段は入ることの出来ない内宮へと足を踏み入れジャパンについて語れることを一つでも増やそうという魂胆だった。そもそも内宮って何だろうきっと内側の方だろうぐらいの貧弱な知識しか持ち合わせていない自分は宛らカイドウに立ち向かうルフィのように無力だった。頼りの綱は祖父だ。彼は毎年のように新年の熱田神宮を経験しており(今年初めて知った)、その目的は初恵比寿のゲットだった(初恵比寿ってなんだろう)。しかし我が家のガープは人混みは疲れてしまうからお参りは遠慮しとく、初恵比寿を入手したらご利益をきちんと家まで持ち帰るためにどこに立ち寄ることも誰と口をきくことも許されない、よって俺はさっさと行って先に帰ると言う。今年米寿を迎える老人は鳥居以降完全に別行動をとった。一目散に初恵比寿の方角を目指して去っていく背中に気を付けてと叫ぶと彼は振り向きもせず左腕を上げて返事をした。麦わらの一味を見送るビビの気分だった。

 

一方で自分たちはチケットを購入し内宮を参拝していた。一般客もいれば団体客も見られた。スーツや作業着を身に纏いいかにも建設業界な方々がずらっと並んで手を合わせている様子を見、ゆとり世代な自分はこれは業務外労働なのかな、だとしたらこのご時世若者から反発上がりそうだなと思うなどしていた。この参拝習慣はもしかすると日本人よりも外国人の方が抵抗感が少ないかもしれない。なにしろ海を渡れば驚くほどの割合で毎週末の礼拝に参加する人がいたり定刻になると一方向に向かって祈りを捧げる人がいたり生涯聖書を読むことが生業の人がいたりするのだ。一年のたった一日を割いて祈祷しに行くことに抵抗感を覚えるのは実は世界的にはマイノリティなのかもしれない。

 

沢山の人で混沌の様相を見せる境内の大部分とは異なり内宮は独特の静けさがあった。人で溢れていること、参拝客や案内人の声で騒々しいことに変わりはなかったが、言葉にしがたい特別な雰囲気を醸し出していた。賽銭箱の奥にはさらに広大な敷地が広がり、そこには整然と門が構えてあった。その門には上から純白の暖簾のようなものが地面すれすれまで下げれれており奥を覗くことが出来なくなっていたが、それでも風に揺らされ時折ちらちらと向こう側が垣間見えることがあった。まるで魂を宿しているかのようにゆらゆらとなびく真っ白な布は僕の意識を一点に集め、周りの騒音が遥か彼方へと遠のくような感覚に襲われた。「視覚情報によって得られる聴覚の静寂ってあるんだ…」と感心する若干仕事モードな自分と、「ブリーチの世界だ…」と口を半開きにして呆然と突っ立つ小学生並みの自分がいた。なお暖簾の奥には楊貴妃の墓があるらしい。実家の比較的近所にも関わらず知らないことばかりだった。

 

お参りの後はおさがりをもらって抹茶を啜りせっかくなので宝物館も入った。熱田神宮三種の神器の一つである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が収められていることで名高い。残念ながら今回神器にお目にかかることは叶わなかったが多くの重要文化財や国宝を鑑賞することができた。昨年一年で多くの美術館・博物館を回った身としては出身国の伝統的な資料を見てどんな対比・感想を抱けるか大変楽しみだった。結果一番の衝撃は説明文にあった。

 

「小峰で細身、腰反り高く踏張りあり、先へ行き少しうつむく。小板目肌よく詰み、地沸つく地金に、刃文は直刃調の小乱れ、匂口うるみごころとなる。帽子乱れ込み、小丸ごころに焼詰める。」

 

何となく刀の説明ということはお察し頂けるだろう。しかしなるほど一個も意味が分からん。一つ一つの主語と述語がいちいち分からん。中高生時代、英語の教科書を読み解くために一単語一単語辞書をめくっていたことを思い起こさせる勢いで逐一ググらねばならなかった。展示コーナーの横には刀の絵と共に部位の名前が事細かに書いてあったのでよし助かったとばかりにヒントを求めるもどこにも踏張り、小板目、匂口なる名称は見当たらなかった。そもそも踏張りが部分の名称なのか踏張っている状態なのかも分からないし小板目が肌よく詰んでいるのか小板目肌がよく詰んでいるのかも分からない。辛うじて「地沸(じにえ)」などと仮名が振ってあるのがせめてもの親切だった。お調子者の叔父と弟は「これから刀買いに行くときは『小丸ごころに焼詰めてるやつください』って言おう」と冗談を飛ばして喜んでいた。

何しろどこの国のどんな美術品の説明よりも難解であったため素人へのハードルを下げてほしいという思いを抱きつつ、一つ一つの表現が全然意味が分からないながらも無性にカッチョイイ中二心の源泉だったためどうにかこれら日本語表現が保存されてほしいと切に願って鑑賞が終了した。まずは自分が日常的に使ってみるところから始めたいと思う。「ほら、俺の息子の匂口がうるみごころとなってるよ。」

 

追伸 初恵比寿は商売繁盛・家内安全・漁業豊漁を祈る祭りで、そこで配られる札を毎年もらうことが重要らしい。年金暮らしをする母方の祖父母は毎年律義に初恵比寿を更新する一方で、商売をしている父方の祖父母宅ではもう何十年前のものか分からない恵比寿様が相変わらず家業を見守るという無理強いをされているらしい。それも今年初めて知った。