おっぱいを1サイズ上げていこう

「モテる車」「人気の車」「乗りたい車」ちょっとググればそんな好評が並ぶミニクーパー

「かわいい」「嫌いな人はいない」「彼氏に乗って欲しい」もうちょっとググればそんなベタ褒めの応酬に晒されるミニクーパー

そんなミニクーパーに乗っている。誰に欲された訳でもなく、誰からモテてる訳でもなく、ただ毎日淡々と乗っている。

 

現在の車を利用するに至るまで、自分の自由意志が介在する余地はなかった。ただ前任者である先輩が残した遺産をそのまま引き継いだに過ぎない。特段車に造詣が深くもない自分にとって、それがミニクーパーであることに殊更の衝撃もなかった。強いて言えば、譲り受けた際の極めて摩擦係数の低いコミュニケーションが後からじわじわと衝撃波となって押し寄せた。

 

自分「(カタカタカタ)」

先輩「しんくん」

自分「はーい(カタカタカタ)」

先輩「これ車。あげるねー。」

自分「はーいありがとうございまーす(カタカタカタ)」

~5分後~

自分「え、なんかナチュラルに車もろた」

 

いくら目の前の作業に没頭していたからと言え、いくら穏やかコミュニケーションの先輩から譲り受けたとはいえ、テンションの割り振りを間違えた。春のせせらぎのようにさらっさらな会話で流してしまった。車を貰うからにはもっとダイナミックな、中山間の濁流が必要だった。「マジっすか!え、マジミニクーパーじゃないですか!うおおおいつか乗ってみたかったんですよ先輩やっぱオシャっすね!お下がりあざーす!やったああ!(ガッツポーズ)」なんて返答をした日にはあまりのどんぶらこっぷりに自分自身が溺れてしまいそうだが、いざという時にたった一縷の可愛げが差し込まない自分がそれ以上に悔やまれる。

 

これが車ではなくパクチーだったらまごう事なきリアクションタイムでトップスピードまで乗せてた。「うわーちょっとパクチー入ってたー食べてー」「maaaaajiiiiiiiiideeeee!!! パクチイイイイイヤッタヤッタヤッタアアアアアアリガトオオオ!!!ムシャムシャムシャ武者アアアアア」のテンションで他人のパクチーを譲り受けることを考えると、実にその100分の1のテンションしか発揮できなかった。100クーパー=1パクチーの為替がここに成立してしまった。「クーパーを100匹捕まえるとパクチーに進化するぞ」とオーキド博士も言わざるを得なくなってしまった。

 

素敵車を譲り受けたものの、冒頭に記した熱烈なポジキャンも当初は梅雨知らず、寧ろ景観とのギャップがえらい違和感だなぐらいに感じていた。なにせ砂埃の酷い国だ。走っている車は十中八九「ラリー帰りかな?」ぐらい埃に塗れている。例えば巨大フンコロガシの運動会を想像して頂ければ、それがこの国のハイウェイで見られる光景そのままだ。自分の愛車も地下駐車場で息を潜めていたにも関わらず、1ヶ月という期間を通じて被った埃はジュマンジも驚きの量だった。そんな愛車の見方が変わった友人との会話。

 

友1「こっちで車持ってるの?」

自分「うん会社のリースでミニクーパー乗ってるよ」

友1「ええええええええどうやったらその会社入れる?」

友2「マジかよおおおおおれもその会社入りたいいい!」

友1「このポルシェも相当イカすけどやっぱミニクーパー乗りたいいいい!」

友2「そうだねありがとうファ●ク」

 

一連の会話は友2のフォードの中で行われた。無知な自分は彼らのハイテンションぶりに引っ張られるようにして帰宅即ググった。すると次から次へと出るではないかよいしょの数々。全然知らんかったよそんなに人気なのかいミニ君。人気の要因はキュートな見た目、組み合わせ豊富なカラーバリエーション、リーズナブルな価格といったところだ。最早フォードとの価格差も見出せずじゃあ友人らミニ買えばいいじゃんという気持ちになったが、彼らの優しさとこの国のもてなしの流儀なのだろうと解釈し胸にしまった。気に入っていたおっとっとを今度箱ごとあげよう。

 

しかしたとえ軽トラにせよ、車を購入すると言ったら並の出費では収まらない。いわんや高級車をや。人は何に価値を見出しその大枚叩くのか。愛しのミニクーパーちゃんは自分にとって人生初の日常的に利用する車だが、先ず思い当たる価値は機能面に集中する。小回りがきいて運転しやすい、小さい割に元気に加速する、システム起動音がなんかオシャ、モニターや照明もなんかオシャ等々。しかし一連の機能的特性は一度慣れてしまえば途端に意識の外へ追いやられ、日々のUXはほとんどspotify先輩が牛耳っているのが現状。かつてメルセデスSクラスに乗せてもらった時はそのスピードに対して余りにも車内が落ち着いておりこれは大金の価値アリと感じたが、一方でオプション全盛りポルシェに乗せてもらった時は画面上に移る重心点の移動だのなんだかんだを一通り見せてもらいつつ「すげえ!(いつ使うんだろう)」「すげえ!(いつ使うんだろう)」というリアクションに終始した。必要な機能の選別は難しいし、それに対する値付けなど尚更だ。そして最後には一切の存在感を椎名林檎様が一掃するのだ。

 

それでも機能面が測定可能な価値だとすると、更に測定の難しい価値もある。例えばブランド。例えばYAZAWAが「BIGじゃん」と表現するもの。例えばGACKTが「惚れてね…」と言い退けるもの。この実態のない価値は半ば言い値であると投げ捨てたいが、今日は敢えて「持ち主に自信を持たせる」という機能として考えてみる。

 

女性のつける下着の良し悪しが当人の自信に影響するというのはよく耳にする話だ。「良い下着」と一口に言っても、どんな要素を以て「良い」とするのか野郎の自分には皆目見当がつかない。高価なもの?有名ブランド?動きやすいもの?透湿性に優れたもの?お、お、おっぱい大きく見せるもの?皆目見当がつかない。分からない。分からないが、お、おっぱいが大きくなるのは相当「良い」んじゃなかろうか。

香水に置き換えると自分も想像しやすい。香水をふった日はなんとなく「いい感じ」になってる気がする。好きな香りを自分自身で嗅ぐことで心理的な安らぎを得るという機能もあるが、それに留まらず、なくなんとなく「いい感じ」を演出できてる気がする。香り分子たちが体の周囲を舞うと同時に、目に見えない「自信ベール」にもなってる気がする。マリリンモンローはシャネルのNO.5を身に纏って寝てたからおっぱいが大きくなったのかもしれない。

 

ミニクーパーという車の評判を見た前後で、無自覚のうちに自信ベールが発生したようにも思う。車そのものは何の変化もなくむしろ日々埃が積もるばかりだが、何か更に愛着が増したように思う。もしかすると、新たに一枚自信ベールを纏っているかもしれない。自信ベールは、モノに対するリスペクトがあれば意外と簡単に生じるのかもしれない。

 

しかし一方で、背伸びのしすぎは禁物のようにも思う。仮にいまミニクーパーではなくメルセデスやポルシェを与えられたところで、行き着く先は自信ではなく浮き足立った慢心もしくは単なる違和感・居心地の悪さのような気がする。Aカップの人がGカップをつけたところで自信には到底繋がらなさそうな気がする。

 

ミニクーパーはその名前とは裏腹に今の自分にとって程よい背伸びっぽいし、世界中のおっぱいが1サイズ上がることは誰しもにとって「良い」ことっぽい。