無変化という挑戦

社会人になって丸3年が経過した。独身男性として会社へのアクセスだけを考え新宿区の狭い1Kに住んだ1年目、結婚するんだったら夫婦別々になれる部屋があった方が良い・絶対に2LDK以上にしておけという周囲からの圧倒的多数意見を押し切って目黒区の1LDKに住んだ2年目、現地不動産屋にこの地域では最低でもベッドルーム2つからスタートだと言われ渋々テルアビブの3LDKに住んだ3年目、思い返すにはまだ僅かほどの月日しか経っていないがそれにしても1095日という期間はワタナベの認知世界において数秒に凝縮されている。

 

直近数回の4月を振り返ると、学生から社会人になった1年目、独身者から既婚者になった2年目、日本在住から海外在住になった3年目、という具合に生活に大きな変化をもたらすイベントが連続して重なっている。「変化の多い4月」という霞のような集合的無意識が頑強な塊となって惑星ワタナベ上に毎年のように着弾している。一方で今回の4月は最近のデコボコエイプリル3兄弟に比べれば通常運行を持続できるようなフラットな月となった。変化って抵抗感じるけど素敵要素もいっぱい詰まってるよね、変化最高!変化ラブ❤︎なホワイトカラーミレニアルジャパン人ど真ん中の価値観を持ち合わせる自分ではあるが、だからこそ今回の無変化は今までに経験したことのない新しい挑戦になると考えている。

 

新しい環境に身を投じること、新しい課題に挑戦すること、新しい人との繋がりを得ること、何であれ自らを変化の最中に晒すことはそれまで自分の発揮したことなかった能力を引っ張り出すことに繋がり、ひいてはキャパシティを広げることになる。故にわー変化素敵万々歳、どうぞ積極的に自分という人間のフロンティアを拡張していきましょうという意見には大いに賛成できる。

しかし一方であまりにも変化変化と変化教に傾倒してしまっては、それが逃げや言い訳に繋がってしまう危険性も孕んでいると感じる。自分の周囲に変化が巻き起こっているからといってそれが即自らにポジティブな作用をもたらす訳ではない。たとえ肩書きや取り組む対象が変わっても一番大事な変化の対象、つまり当人の中身が置いてけぼりになっては元も子もない。色々挑戦してる「風」、色々変わっている「風」、というスタンドプレー的な変化は努めて避けたい。

 

社会人になって経済的に自立した青年、既婚者になって支える家族を持った青年、海外赴任が決まって未知の環境で生活するようになった青年、いずれも立派な人生の転機を迎えているように見える。見えるが、どうしてその事実だけで満足できよう。形式ばった略歴に載せる対象として真っ先に槍玉に挙げられるような出来事からは、自分という人間のもっと本質的な変化、生々しい潮流を嗅ぎ取ることは極めて難しい。変わっているのは社会における相対的なポジションだけであってそもそも当人は絶対的には何も変わっていないという可能性すら否定できない。

こう考えを巡らすことで自身を牽制しながらも、社会人になった自分、既婚者になった自分、海外駐在者になった自分をして、何とも言い難い安心感のようなものを抱いている節は拭いきれない。これらの壮大な変化がスタンドプレーではなく、自分の中に今後も爪痕を残し続ける大きなダイナミズムとして存在し続けるには、とにかくそのイベントに真摯に向き合い続けることが肝要だと感じる。変化を単なる点ではなく、その後も連綿と続く帯の一端として捉えるのだ青年よ。

 

大企業の人事に前もっての確定事項は何一つないという前提ではあるが、少なくともあと2年、合計3年は今の地にいたいという意思を持っている。3年という数字は海外赴任が決定した段階から変わらず脳内に抱いているが、同じ主張であっても1年前と今では包含する意図が全く異なる。1年前は海外での仕事の様子など元より現地での生活状況すらも全く想像できず、何年いたい・いるつもりがあるかなど判断できる材料が毛ほどもなかった。よって半ばボスの鏡を演じるかのように「3年ぐらいは居た方が良いと思うんだよねー」「そっすね、3年ぐらいっすねー」とオウム返しした結果口がサンネンという音を発しているに過ぎなかった。

しかし今では強い意志を持って最低3年滞在したいと言い放つことができる。3年滞在して得られる財産、そしてそこに至るまでのチャレンジが確かに存在すると確信している。

 

計2年の海外赴任、つまり今から1年後の帰国という選択を取った方がある意味では自分の大好きな「変化」を早いスパンで迎えることができ、ともすれば喜ばしいことなのかもしれない。しかし1年の経験を携えた今なら言える。もしあと1年しか駐在期間がなかったら、悪い意味でやり抜けれてしまう。帯のもう一端を視野に入れながら、どこかウイニングランの姿勢で仕事に向かってしまう。

その油断を断ち切り、今この瞬間連綿と紡がれている帯を自分の人生に色濃く巻き付けるためにも、あと2年はこの地に留まった方が身の為だと第六感が叫んでいる。よりシンドイ思いをするためには、より自分に負荷をかけるためには、もう暫くここに居座れともう一人のボクが囁いている。

 

という訳で今年は環境の変化という言い訳を自分から取り上げ、無変化の中で腰を据えて自らを試すという挑戦の年になる。毎年思ってるけど今年の挑戦もエライ大変そうだ。望むところだ令和元年。

浮き足立つことなく目の前のことに没頭しますという自分への宣戦布告と、まだしばらく遠い彼方にいるので皆さん是非遊びに来てくださいというアピールでした。なんだかんだ1-2ヶ月に1組の頻度で日本からお客さんを招いている我が家は本当に幸せです。

やりたいこと見つけたい症候群

23歳夏、大学院一年生のときに6週間のインターンへ参加した。ただでさえハナタレ小僧で十人並み学生だった自分が突然社会人の中に飛び込むという状況にこの上なく右往左往な心境だったが、加えて飛び込んだ先が外資系メーカーかつ取り扱う商材は化粧品という環境が輪をかけて外界と心の内とのコントラストを明確にした。オフィスで働く大半の先輩が長髪バッサー!まつ毛ビューン!笑顔キラキラー!な女性社員であり、そんなお姉様方に囲まれて新宿で働く毎日はいかにも映画の描写でありそうな東京に出てきた田舎者そのものだった。

 

インターン1日目、人事の方から一通りの説明が終わると配属先の担当先輩についてチーム内に挨拶をして回った。大半のコミュニケーションは日本語でつつがなく済んでいくがなにせここは外資系企業だ。当然のことながら一定数の外国人社員も同じオフィス空間で働いており、何の前触れもなく外国人同僚への挨拶が発生する。帰国子女だった先輩は流暢な英語で紹介を続ける。

「こちらワタナベさん、今日からインターンでうちのチームにやってきました。こちら社員の〇〇さん。〇〇を担当されてます。」

1ミリも捻りのない超入門編の語彙しか使われていない、中学一年生の冒頭で習うような英会話だ。HiでもNice to meet youでも言えれば即刻合格点の場面だ。

しかし当時のワタナベはHiもNice to meet youも発することができなかった。ただぎこちなく会釈をしてやり過ごした。ガイコクジンとハナシタケイケンが余りにも乏しく、瞬間的な緊張によって呆気にとられている内に気付けばもう別の人への挨拶へ向かっていた。更に言えば先輩の発した簡単な紹介も聞き取ることが出来なかったため正確には本当に超入門編の語彙のみだったかすら定かではない。

 

同じインターン生の中には帰国子女や留学経験者もいた。彼らはインターンながら業務でも英語・フランス語を活用して役割を全うしていた。ランチをとりながら面接時の話を聞くと、彼らの場合は突然英語でのやりとりが始まり語学力を見定められたとのことだった。Hiすら口をついて出てこない自分にとっては到底別世界のように感じた。不思議なほどに心の中で彼らは彼ら、自分は自分という線引きを明確にしていたため悔しさや憧れのような感情すら抱かなかった。この時の自分は生まれてこの方まだ一度も日本から出たこともなかったし特別出たいとも思っていなかった。海外とか外国語に対して潔いほどに無関心だった。

 

時は経ち4年後の今、ワタナベは異国の地で英語ばかり使って仕事をしているし隙あらば海外旅行の機会を伺っている。まるで別人だ。何が自分を変えたのだろう。

4年前と現在を比べてそのギャップを「別人」と表すとき、その表現が指す対象は第三者から観察可能なワタナベの「能力」と、観察の難しいワタナベの「精神」という2つの世界がある。前者の「能力」について今回は文字を浪費するつもりはない。能力をつけたい人はつければ良いし、その方法論は世の中に溢れかえっている。英語を話せなかった自分はスクールに通ったり研究室の留学生と話したりして徐々に話せるようになった、はい別人、以上終了だ。

 

より興味深いのは後者、「精神」の話だ。そもそも人はどうやって「能力をつけたい」というモチベーションを得るのか、かつては海外に微塵も興味なかった自分がどうして積極的に海外旅行を志向するようになったのか。自分なりの答えを一言で表せば「環境が全て決める」だ。

 

英語に関しては研究室で英語で話さねばならない機会が増えた、会社で英語で話さねばならない機会が増えた、海外赴任することになり英語が絶対必要になった等、強制力・切迫感の強い環境が身に降りかかることで心境にも変化が訪れた。それまで英語に無関心だったワタナベの精神は「英語力をつけたい」という前向きな気持ちとまではいかないまでも「英語力をつけないとマズイ」という思いを抱くようになり、結果的に能力を身につけるための具体的な行動に移るようになった。

海外旅行に関しては中東に身を置いた結果心身共に制限時間付きのボーナスステージに突入した感覚だ。少なくとも向こう数年の任期中はヨーロッパへもアフリカへも数時間で往復でき、フライトさえ選べば1万円前後でも行って帰れる。この4年間、友人や妻に誘われながら少しずつ海外旅行の経験を積んでその魅力を知り、今では限られた任期内で出来るだけ未踏の地に足を運ぼうとしている。今の自分が日本にいたら恐らくここまでの渇望感は抱かなかっただろう。ポイントは「旅行しなかっただろう」ではなく「旅行したいと思わなかっただろう」である点だ。今身を置く環境がワタナベの心をして「〇〇したい」と思わせているのだ。

 

どうやらここでいう環境とは外界からの要請、制限時間の存在、時間的・経済的余裕の3つを指しているようだ。確かに責任が伴うことで心境が変わる、強烈に死を意識することで考え方が変わる、時間・お金を手に入れることで性格が変わるというのはいずれも聞いたことある話だ。

気をつけておきたいのは単発のイベントでは精神変化をもたらすには役不足かもしれないという点だ。Hiすら言えなかったという今でも脳裏に焼き付いている恥ずかしい経験をしても尚、英語を勉強したいというモチベーションには繋がらなかったという前例が語るように、ちょっとやそっとの衝撃で人は(少なくとも自分は)変わることができない。内面を変えるためには一回の劇薬よりも毎日の常備薬を試みた方が良い。

 

最近、ビル・カニンガム ニューヨークという映画を観た。最期までニューヨークでファッション写真を撮り続けたビルというお爺さんのドキュメンタリーだ。彼は80歳を超えても朝から晩までニューヨーク中を自転車で駆け回り、シャッターを切り続けていた。お金を貰ってしまうと自分の自由が奪われると言って不必要な金銭オファーは全て断り、共同シャワー・トイレの狭い部屋に住み続け、室内には大量のネガとアルバムが溢れかえっていた。家族も持たず趣味も持たず究極のワーク・アズ・ライフを体現していた。彼は映画中で終始満面の笑みで語り、幸せそうにカメラを覗いていた。微塵も迷いを見せないその姿はこの上なく羨ましく映った。

 

ビルのように強く「〇〇したい」を抱き、自分の心に従い幸せを体現するためにも、まずは様々な環境に身を投じて自分の精神を知るところから始めるのがパンピーにできる一つの方法だろう。「自分は〇〇したい」と自己暗示をかけることよりもどこかの環境に飛び込む方が簡単だし、心はその後から必ず付いてくる。いろんな心のピタゴラスイッチを観察する過程で自分にとってのサンクチュアリに近付けるだろう。

アダルト恋愛相談

ランチタイムにキッチンでお弁当箱を広げ一緒に食事と会話を楽しむランチ仲間がいる。3人の30代女性+自分といういささか不思議な組み合わせの会はしばしば大変タメになる話題へと舵を切ることがある。

 

年齢的に2番目に若い女性が1カ月前、それまで付き合っていた男性との破局を迎えた。今日のランチは彼女の近況を自分と一番年上の女性の2人で聞く会だった。以降便宜的に一番年上の女性を姉、相談主を妹とする。

 

妹からの話題提起

妹「先週末に元カレと会って話してきたわ。彼の方もなかなか新しい人を見つけることが出来ずにいて、もしかしたら私たちいつかよりを戻せるかもしれない」

僕「それは良いニュースだね。でもそもそも破局のきっかけは何だったの?よりを戻すにしても元々の問題をクリアにしないと二の足を踏んでしまうかもしれないよ」

妹「最終的にお互い言い争ってばかりの関係になってしまったの。いつも始まりは些細なことなんだけど、そこから何時間も言い合ったり嫌な雰囲気が流れたりして、いつしか常にそんなネガティブな空気になってしまって。結局元の関係性に戻れずに破局することにしたの」

 

妹は苦しい時間の末にフラれてしまい未だに後ろ髪を引かれている。そこに姉からの助け舟が出る。

 

姉からの解決策提示

姉「ちょっと、それまさに私と夫にも起こったことじゃない!とっても良い解決策を知ってるわよ!」

妹「なになに、教えて」

姉「あのね、私たちもいつも小さいことで言い争ってたの。その内の1回が本当にひどい喧嘩で3日間お互い口を利かなくなってしまったからどうにかしなくちゃと思って。思い切ってカップル向けのレッスンに丸二日間通ってみたの。そこで教えてもらった解決策が効果テキメンなのよ!」

妹「すごい!是非聞きたいわ!」

姉「まず1日に1度、必ず夫婦間でお互いの考えを共有する時間を設けるの。たった2分でいいのよ。そこでお互いに対して嫌な気持ち・直してほしいことがあったらきちんと伝えるの。別に嫌なことがなければ自分の考えや性格、その日感じたことを相手に伝えるだけでも構わないわ。でも嫌なことがあったときには、何に対して、なぜ嫌な気持ちになったのか相手に伝えるの。相手は必ず最後まで言い分を聞く代わりに、伝える側は必ず”だから今後はこうしてほしい”と提案をするの。相手はその提案を受け止めるか、そうでない場合は別の提案を出すの。そうして解決策を決めたらもう言い争いはしない。これがルールよ。2時間の喧嘩が2分になるわ」

 

さすが経験者。解決策の具体度がハンパではない。しかし妹はまだ浮かない顔をしている。

 

妹からの反旗

姉「だからあなたも相手に直してほしい部分があったならそれをきちんと指摘すれば良いのよ」

妹「そっかあ。でもそれは私には出来ないわ」

姉「どうして?」

妹「まず私は男性にロマンチックであってほしいの。私はいつも彼からの愛を感じていたいし、そのために行動や言動で愛を表してほしいの。でも彼は私に対して愛を伝えてくれなかったの」

姉「じゃああなたはその気持ちをきちんと彼に伝えないといけないわ。私は今の夫とのデート一日目に”私は毎朝I'm missing youというメッセージがほしい、毎日電話してほしい、記念日には花を送ってほしい、それが私の絶対条件”と伝えたわ」

妹「私にはできないわ。だって私が欲しいのは彼自身からの純粋な愛なの。私の口からそうしてほしいと言って、彼が行動に移し始めた時点でそれは彼自身の自発的な愛なのか、私に言われたから行っているのか分からなくなっちゃう。私の求めるauthentic loveじゃなくなっちゃうの。だから私からはそう言えないわ」

 

実に面白いキャッチ22がここにある。もう少し姉ちゃんのアドバイスに耳を傾けよう。

 

姉からの宿題

姉「じゃあそうやってあなたのことを愛してくれる人を探せば良いじゃない。彼はあなたの求める人じゃないということでしょう。因みに最初はauthentic loveだと感じないかもしれないけど、何度も繰り返すうちにそんなこと気にしなくなって幸せな気持ちだけが残るわ。だって彼は私が喜ぶことをし続けてくれているんだから」

妹「でも私は彼のことを本当に愛していたの。まだ今でも愛していると言えるわ。彼がロマンチックな人になってくれることがベストなの」

姉「あのね、自分にとって絶対譲れないものを3つ列挙しなさい。それ以外はまず無視するの。この世界に完璧なんてないんだから。まずその3つを満たす人を探す努力をしなさい」

姉「自分でもわがままだと分かっているんだけど私のリストは3つじゃ収まらないの、7つはあるの」

姉「3つよ。絶対3つ。でないと幸せを掴むことは奇跡を祈るのと同じだわ」

 

そういって姉さんは仕事に戻って行った。秘書さんはしばしばオフィス内で誰よりも頼りになる人のことを指す。ここで暫く口を閉じていたワタナベの番が回ってくる。

 

エゴの正体

僕「条件は幾つでもいいと思うんだけど、優先順位は明確にした方が後々ラクになるよね。そのロマンチックさが重要ならやっぱり他の人を探した方が自分のためになるだろうし、そうでないと決めたらスッキリとした気持ちで彼とよりを戻す方向に動けるから。もしくは直接彼に伝えることなく本人にロマンチックさを兼ね備えてもらうというウルトラCを狙うかだけど…それこそ姉みたいにカップル向けのレッスンに行ってみるのはどう?」

妹「今?2人で?もう付き合ってないのに?」

僕「今。2人で。別に付き合っていようがいまいが関係ないじゃん。お互いが将来よりよい人生を歩むためにはここできちんと反省を明確化しといた方が良いよ」

妹「うーん、実は破局前に行こうとしてたんだけど、”行こうと誘った方が負け”みたいな空気があって結局お互いにお互いを誘わず終いになってしまったの」

僕「なんだ。じゃあもう今のタイミングで相手を誘ってみればいいだけじゃん。勝ち負けなんてないんだから」

妹「出来ないわ。分かってる、それが私のエゴなの。出来ないの」

僕「なんで出来ないの?明らかに今後の人生をより良くすると分かっているのに?自分の人生よりも大切なモノって何なの?」

妹「あのね、私は母から”女性は強くなくてはならない。決して男性にも媚びてはならない”と言われ続けて育ったの。その価値観が私の中に根付いているのよ。ただのStigmaだということは分かってるけど。この考え方から逃れられないの」

僕「わーおそれ、なんていうか、めっちゃ面白いね。自分がそういうstigmaを持っているということを客観視しているのに、同時にそこから外へ踏み出せないんだ。そうなると今度は、stigmaに縛られた人生と、そうでない人生、どちらが自分にとってより理想に近いのか整理する必要があるね。あと強いとか媚びるとかって言葉が何を意味するかも明確にしないとね」

 

残念ながらここでランチタイムは終わりを告げた。姉の含蓄溢れるアドバイスにも感銘を受けたが、同時に妹の自己理解の深さにも驚いた。これ以上はいよいよお節介の領域に突入しそうなので干渉を控えようと思うが「彼をレッスンへ誘う」という極めてシンプルなネクストアクションが目の前にぶら下がっているにも拘わらず実行に移せないという事実にstigmaの威力をまざまざと垣間見た。こうして今日も少年ワタナベは大人の恋愛事情という荒波に揉まれるのだった。

 

※一応本人に掲載許可もらってます

インスタ芸術点

偶然たどり着いた海沿いの空間が貝殻で有名な国立公園だったようで、青空・地中海・貝殻絨毯という響きだけはサマーバケーションな三点盛りへと予想外にも身を投じることとなった。ジャリジャリと貝殻ロードを一通り歩き回り、海・貝・鳥・人の写真を撮るなどして小一時間ほど堪能した。

 

帰路の車内で「疲れたでしょう。運転変わろうか?」と気遣いの言葉をかけてくれる妻に対して「大丈夫、面白い話をしてくれたら家まで元気に運転できるから。なんかスベらん話ちょうだい。」とパスを渡すと「えーじゃあ今日の写真をインスタにあげたいからその文章を考えて。候補10個出してね。はいスタート!」とパスの威力が10倍になって返ってきた。冷静になると「面白い話して」という投げ掛けに対して「じゃあインスタの文章考えて」という返しのすれ違い具合に気づくことができるが、両手に握るハンドルへと認知機能を幾分か割いていたワタナベの脳に満足な容量は残っておらず、フレンドパークの勢いさながらにはいスタート!の合図で猛烈に10個の候補を挙げ始めた。件の写真を貼っておくので皆さんならどんな文章を添えるか想像しながら読んで頂くのも面白いかもしれない。

 

f:id:liquorshopshin:20190224054833j:plain

件の写真

 

  1. 貝。私は貝の上にいる 海。海は私の側にある 空。私は空の下にいる

「終わり?なんなのそれ?」

「ポエムだけど」

「もういい次」

 

2. 貝殻を 集めてかえる 地中海

「今度はなに?」

「川柳だよ」

「もう詠むの禁止」

 

3. Seashells on a seashore

「それは?」

「英語の早口言葉から引用」

「次」

 

4. 本日は地中海に来ました😆 天気予報はあいにくの曇りでしたが綺麗な晴天になりラッキーな週末!偶然通りかかった海沿いの公園で可愛い貝殻をたくさん発見したので思わずパシャり。暖かくなったらまた来たいな~☺️

「多くを語るキラキラ垢ver.」

「わかった次」

 

5. 貝殻☆

「多くを語らないキラキラ垢ver.」

「まだ半分だよ」

 

6. #地中海#貝殻 #おしゃれさんと繋がりたい #写真好きな人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 #旅行好きな人と繋がりたい #タビジョ#ファッション #いいねした人全員フォローする

「自分で言いながら鳥肌立ってきた」

「アレルギーだね」

 

7. 🐚🏖❤️

「個人的には好感が持てる寄りのキラキラ属。たまに巨大地雷も紛れ込んでるイメージ」

「はい。次」

 

8. 本日コーデ (ブランドタグ付け)(ブランドタグ付け)(ブランドタグ付け)

「キラキラにもいろんな技があるね」

「私今日の服どこで買ったか忘れちゃった」

 

9. 旦那さんは鳥を撮って、私は貝を撮って

「突然どうしたの」

「冷静な現実描写パターン」

「わかった、次最後だよ」

 

10. 今夜はカレー♪

「時間軸を現在からズラした現実描写パターン」

「お疲れ様でした。結果は私の投稿を見ておいてね」

 

10個を挙げている最中はランダムに思いついたものを口から出すばかりでそれ以上の工夫といえば連想ゲームのように「他のポエムっぽい投稿」「他のキラキラ垢っぽい投稿」を探すことぐらいだった。しかしいざ数が揃ってくると面白い発見がある。投稿写真と投稿文の内容との関係性には幾つかのパターンが見出せそうなのだ。

 

例えば4.の多くを語るパターンは投稿写真に対して投稿文章の持つ情報量が圧倒的に多い。もはやそのコンテンツはブログと大差ない。ブログからそっくりインスタにコピペしたと言われても納得できる内容だ。一方で5.の多くを語らないパターンでは言葉の力によって投稿写真の情報を削ぎ落とし閲覧者の注目を写真の一部分へと向けさせる。特に見て欲しいのはここだよー!と訴えかける。

 

個人的に好きな投稿はその中間、写真と文章が対等な関係にあるパターンだ。尚且つ、写真に収められた瞬間を絶妙な切り口で言葉に落とし込まれた日には、そのバランス感覚に芸術性すら覚え悶える。大喜利でいえば「写真で一言」、インスタでこれを体現しているのはご存知麒麟の川島氏だ。とは言えここでの芸術性とは必ずしも笑いだけに限定しない。例えば1.や2.のポエムは写真の世界観とは対等に近い気がする。が、いかんせん言葉遣いと空間の切り取り方がイケてない。1.のポエムは2つの対象の関係性を静止状態のまま羅列しているだけでどこか味気ないし、2.のポエムは動きが付いている分マシかもしれないが表現が古臭いのと「貝殻」「地中海」という直接的な言葉遣いがイケてない。

 

上記を鑑みると9.は一番好みに近いかもしれない。夫婦二人の動きや好みがシンプルな文章から感じられ、場の雰囲気がありありと思い描ける。ただし貝の写真に添える文として「旦那さんは鳥」から始まっては若干写真の世界観を逸脱すると言わざるを得ない。ゆえに写真文章間のバランスという観点では今一歩というところだろう。旦那さんという単語をよりフェアなニュアンスの夫に書き換えると「夫は鳥を撮って、私は貝を撮って」となる。仮に表現の観点で及第点だとしても、なんとなく夫婦仲がバラバラだという後ろ向きな印象を持ちかねないため意味合いの観点で不採用かもしれない。

 

心の赴くままに10例を挙げ、見切り発車で一部をセルフ添削してみたが存外面白かった。自分の好みを再発見できただけでも今日は良い日だったと言える。どれだけ満足のいく投稿をできるかやってみるまで分からないが、今日からワタナベはインスタのセルフ芸術点を上げる努力をしてみようと思う。それでは最後に妻の結果を見てみよう。

 

f:id:liquorshopshin:20190224054808j:plain

 

好き。写真の内容と文章の内容、ドンピシャで一対一。良い。貝殻が敷き詰められその上に自分が立っている様子を「絨毯」という言い換え。良い。「貝の絨毯」ちょっと表現が幼稚、「貝殻絨毯」ちょっと字面が重い、「貝殻の絨毯」まあアリ、「seashell carpet」スッキリする上に英語表記もそこまで鼻につかない。ベスト。

こうして今日も「わかってるね~ポイント」が妻へと加算されたのであった。

1時間後の異世界

久しぶりに旅行へ出た。旅行といっても日帰りの旅であること、片道たかだか1時間程度のドライブであることを踏まえると「お出掛け」という表現の方がしっくりくるかもしれない。いま住むこの国は国土面積が四国とほとんど同じというコンパクトさであるが故に車で簡単に隅々を訪れることができる一方で国の指定公園が100近くも存在し広大な自然、何千年前の遺跡、聖書の舞台となった地など観光には事欠かないため昨春の引越し以来毎週末のようにどこかへ車を飛ばして出かけていた。早々に国中の目ぼしい場所は踏破してしまったことと冬に入り雨がちな天気が増えたことにより最近は出不精の気が増していたが、今回ひょんな事から久しぶりかつ新たな土地への旅が実現した。

 

行き先はパレスチナ

 

おっと早速「お出掛け」という表現に陰りが伺えてきた。「潜入」と言った方が良いだろうか。この投稿を潜入レポと呼ぼうが旅行記と呼ぼうがお出掛け日記と呼ぼうがその命名権は読者の皆さんにお譲りするが、とにかく今日1日の出来事を記したい。今回の目的地はヘブロンパレスチナ内の数ある都市の中でも特に複雑な事情を抱えた場所だ。

 

パレスチナ地区に入るのは存外簡単だ。適当に車を転がしていたら気付かぬ内にパレスチナにいたということがこの数ヶ月の間に何度かあったが、そんなことが起こっても余程の事態でもない限りさしたる問題には繋がらない。自分がうっかり入れてしまうような場所は総じてのどかな風景が広がるばかりなのだ。一方でガッチリと塀とゲートで管理され「ひょいと入る」という訳にもいかない場所もあるが、そのようなボーダーであっても日本人である限り二言三言のキャッチボールですんなりと出入りさせてもらえる。ボーダーを跨いでしまった後の留意事項と言えばボッタクリに注意、ウザい押し付け販売に注意、アグレッシブ物乞いに注意、といったアラブ諸国もしくは途上国に共通することばかりだ。過激なイスラエルアンチから悪さをされるリスクを回避するためイスラエルナンバーを掲げた車をどこか安全な場所に停める必要だけが残るが、それ以外に求められる特別な注意はない(政治的緊張度合いに左右されるので正確には時期による)。ミサイル注意とは決して言われないし、銃に注意という警告はむしろアメリカ滞在者に向けて発した方がまだ意味あるだろうという感じだ。もちろんガザなどを含むごく一部のドンパチ地域では話が別だが、そういった地域は軍によるガチガチの管理下にあるためそもそも自分のようなハナタレ小僧は近づくことすら許されない。

 

実際今までベツレヘム(キリストが生まれた場所)やジェリコ(キリストが悪魔から誘惑を受けた場所)といったパレスチナの町に足を運ぶことが何度かあったが、それはひとえにそういう地域の情報を入手できたからだ。聖書に所縁のある場所は総じて巡礼地・観光地として機能しておりその分情報も手に入れやすい。反対に情報がなければ安全かどうか以前に何を見たいかということすら知ることができずそもそも旅行先の候補としてあげることができない。そういう訳で我が家から車でたった1時間そこらの町が今まで未開の地として残っていたのだが、今回この町がめっちゃ興味深かったという情報と共に現地ガイドを紹介してもらうに至ったのでしばし荒野を走って遠縁なご近所へと向かった。

 

ヘブロンの複雑さはイスラエル人とパレスチナ人の入り乱れ方にある。地図でこのちっぽけな国を見てみると点線ではあるがイスラエルパレスチナの間に境がひかれておりここからこっちはイスラエル人の場所、ここからこっちはパレスチナ人の場所と区切られている。しかし唯一ヘブロンだけは空中から眺めていても両者の境目を把握することができない(google map上ではパレスチナ領に見えるが実際は一定数のイスラエル人も住んでいる)。ある一角ではイスラエル人とパレスチナ人の家が交互に並んでいたり、別の一角では一階部分がパレスチナ人・二階部分がイスラエル人の居住区となっていたり、とにかく両者が入り乱れに乱れている。ヘブロンという町に限っては両者は仲良しなのだろうか?残念ながら違う。珍しく写真を使ってお話ししよう。

 

f:id:liquorshopshin:20190209052856j:plain

ヘブロン内マーケットにて

これはヘブロン内の中心的なマーケットから空を見上げるようにして撮った写真だ。ご覧の通り一階屋根の部分に金網が敷き詰められているが、この金網を境目として一階部分がパレスチナ人、二階より上がイスラエル人の居住区になっている。写真の金網にはゴミのようなものが無造作に引っ掛かっていることが目に取れるがこれは他でもなく上の住人が下の住人に向けて投げ捨てたものだ。そもそもこの金網は階上からの物理攻撃を防ぐために張り巡らされている。二階の住人はゴミ、石、水、そしてときには塩酸をも階下に投げ入れるという方法で嫌がらせに熱を入れているらしい。なんてこった。ツアーの冒頭からあんぐりと開いた口が閉じなくなった自分にガイドのアブダラが一言「大丈夫、ここの事情は複雑すぎて消化には誰しも時間がかかるから」。

 

少なくとも数十年前のあるタイミングにおいてはパレスチナ人が住んでいたこのエリアにイスラエル人が徐々に押し寄せ、パレスチナ人の家屋の上部に勝手に家を建てては階下の住人に物を投げる等の嫌がらせを始めたというのがここ数十年の出来事だ。「元々誰が住んでたか」議論は寄って立つ歴史記述によって異なるので一概にどうというのは不可能だが、少なくとも階上に住む彼らと階下に住む彼らはお互いにここが自分の場所だと言い合っている。そして階上の住人からの嫌がらせやイスラエル軍の措置によって階下の住人は徐々にその住居を去っているというのが最近の事情だ。

 

f:id:liquorshopshin:20190209052834j:plain

一階の住人は徐々に住処を放棄している


自分は歴史についても宗教についても絶望的なほど無知であるためその点について背伸びをして御託を並べるつもりは一切ない。ただ心に引っかかってやまなかったのが一人の人間同士の関係性だ。どんな正当化をしたら赤の他人に塩酸を振りかけて平気な気分でいられるというのだろう。百歩譲って遠い祖先が迫害を受けていたとしても、どうして目の前の罪ない人に石を投げつけて涼しい顔していられるのだろう。パレスチナ人であるアブダラのこんなセリフが印象的だった。

 

「あまり大きな声では言えないんだけどさ、正直彼らのことも理解できるんだよね。小さい頃からそういう教育を受けてたら誰だってパレスチナ人が悪者だと信じて疑わなくなるよ。」

 

ちなみにイスラエル人といっても内訳は様々で、全員がユダヤ人というわけでもない。さらにユダヤ人の中でも信仰の度合いによって生活スタイルやファッションが異なり、中でもとりわけ信心深い人たちのことを超正統派と呼ぶ。ヘブロン内に住むイスラエル人はもれなくユダヤ人、その中でも超正統派の人々だ。彼らの仕事は死ぬまで聖書を学ぶこと。物心ついた頃から聖書を開き、ユダヤ人の迫害の歴史をこれでもかと叩き込まれる。躊躇いなく二階から物を投げるという芸当はそういう人たちだからこそ出来てしまうという側面もある。

 

ある討論番組で2chの開設者ひろゆきが繰り広げた問答が印象に残っている。テーマは日韓問題、話し相手は嫌韓の日本人だった。韓国の何が嫌いなの?という質問に対して歯切れの悪い回答をする相手にひろゆきが詰め寄った。「韓国人の知り合いはいる?いないの?じゃあ嫌いな韓国人がいるわけじゃないんだ。だったら韓国政府が嫌いなの?軍が嫌いなの?」ひろゆきの親切なリードも叶わず彼が韓国の何に対して嫌悪感を抱いているのかシンプルな説明に落とし込むことはできなかった。側から見ると嫌韓な彼は幻想に対して牙を向けているようにも見えた。

 

世界的ベストセラーであるサピエンス全史において著者ハラリは「人間は虚構を信じて団結する力があったから種として発展できた」と言っている。実態のないものの価値を理解し享受できことはこの上なく素晴らしいことだと感じるが、一方で虚構に縛られた結果目の前の人に危害を加えていては本末転倒だとも感じる。ヘブロンには中心部に一本の主要道があるが、かつてパレスチナ人に重宝されていたその道は今やイスラエル軍に管理されておりパレスチナ人は入ることすら許されない。日本人の自分たちは中を見ることができるためその入り口まで送ってくれたアブダラは「どうやら俺はテロリストらしいからここへは入れない、反対のゲートで落ち合おう」と寂しそうに言って別れた。

 

f:id:liquorshopshin:20190209052924j:plain

イスラエル軍に管理されているヘブロン主要道


親の仇という概念は分からない話でもない。自分や自分の周りの大切な人たちが傷ついたら、その害をもたらした根源に復讐を晴らしたいという気持ちを起こすのが人という生き物だろう。じゃあそれが祖母の代だったら?曽祖母の代だったら?その時悪さを犯した当事者がもう誰もいなくなっていたら?自分から遠くなるにつれて風化し、虚構に近づく。復讐の気持ちを保持することが悪いわけではないのかもしれないが、虚構に囚われる余り目の前の無害な人間を傷付けるのは悪というのが自分の感覚だ。過去のことは水に流そうと言いたいのではない。暗闇に向かってシャドーボクシングをするのではなく、直すべきシステムを見極めてテコ入れしなよと叫びたいのだ。目の前の人に石を投げ酸をかけるのではなく、責めるべきはきっともっと他にあるはずだ。

 

「ちょっと変な質問かもしれないけどよかったら教えて。アブダラはイスラエル人の友達はいる?」

答えは残念ながらノー。検問で執拗にハラスメントをしてくる軍人としか話したことがないとのこと。そんな彼ですら「正直彼らのことは理解できる」と言っている。どうか答えのないイタチごっこに囚われず、ただシンプルに目の前の人のことを思いやれるアブダラのような人が増えてくれればと願うばかりだった。そして自分が起こせる行動の一つとして、取り急ぎこうしてここに今日の出来事を記しておく。

 

f:id:liquorshopshin:20190209054711j:plain

パレスチナ側から見たイスラエル軍管理地区

f:id:liquorshopshin:20190209052912j:plain

イスラエル軍管理地区内。“THIS LAND WAS STOLEN BY ARABS FOLLOWING THE MURDER OF 67 HEBRON JEWS IN1929” の文字。いつ誰が何をしたかなんて挙げてもキリがない。

 

餃子をこねてユーチューバー

「今週末餃子作りたいな」

「いいよ作ろう」

 

そう言って夫婦二人でキッチンに立つ土曜夕方。餃子の皮だなんて気の利いたものがこの国で売っているはずもなく強力粉だの薄力粉だのという何らかの白い粉からこねくり回す必要がある。長時間の作業になることは明らかだったため何らの「ながら」作業がないかと周りを見渡した。音楽を聴く、うーん悪くないけど作業に一色加えるというよりは背景に色味が増す感じがしてまだ少し物足りなさがある。何かトークテーマを設けて餃子の皮をコネコネしながら2人でペチャクチャ話す、うーん悪くないけど今わざわざ時間を割かなくても普段の生活でできる感がある。何かもう少しアクティブに行う「ながら」で、かつ普段はやり難いけれど調理中にこそできそうなことってないかな。

 

そうして思いついたのがライブ配信だった。

 

こいつは良い。iPhoneを傍らに置いておくだけで作業の邪魔にはならない上に、覗きに来てくれたフォロワーとの会話を通じて話題に広がりも生まれる。普段の生活ではまず手を出さないであろう「ライブ配信」という領域にもこれを機に足を踏み入れることができる。三方良しだ。そして実際に実行へと移してみると当初の想定よりも面白いことが多く発生した。ここではそのうち3つを紹介する。

 

1つは日本の友人との精神距離がぐんと縮んだことだ。実際何人かの友人が配信を覗きに来てくれ更にコメントをくれたが、そこまでは事前に想定できたことだ。しかしこういうことが起こるだろうという「事実」までは想像できてもその先にある自分の「精神」にまでは思いを馳せることができていなかった。びっくりするぐらい友達と繋がった感あんの配信て。そもそも砂漠の真ん中にポツンと孤立した国で妻と2人暮らしという生活は多かれ少なかれ孤独が付きまとう。もちろん妻が一緒に暮らしてくれていることの恩恵は計り知れないし現地の同僚やこちらでできた友人は生活のあらゆる面でサポートしてくれるこれ以上ない程ありがたい存在だ。しかし一方でスマホからSNSを通して見えてくる情報・コミュニケーションの大半は地球の裏側での盛り上がりが反映されており、そこからの疎外感は少なからず横たわっている。SNSのような多対多の場でメンションを飛ばし合って会話するのも少し距離感を感じる、しかし突然LINEのような1対1の場で突撃するような理由も話題もない、そんな自分にライブ配信はちょうどよい塩梅をもたらしてくれた。ただ餃子の皮をこねるだけの動画に一定時間付き合ってくれた友人には感謝が絶えない。

 

2つ目はハプニングによるオモシロ展開だ。どうやら強力粉の分量を間違えたことによって本来しっとりするはずの生地がこねれどもこねれども一向に乾燥状態を脱さない。当初はサザンを陽気に口ずさみながら手を粉に浸していた自分の心境も徐々に険しくなりいつしか君が代の旋律に乗った厳めしい手つきに変わっていった。このさざれ石のような生地、マジで千代に八千代に巌となんじゃねえのかと疑心暗鬼になる状況は一歩間違えれば本来楽しいはずの夫婦クッキングコーナーに不穏な空気をもたらしかねない。天才松本がごっつええ感じに降臨させたキャシィ塚本という名の魔物はワタナベ家の台所にはお呼びでない。そんな中救いの手を差し伸べてくれたのが配信に寄せられたコメントだ。心配を寄せる声、ハプニングからの脱し方を示してくれる声、「まだこねてる場面しか見てない」とシュールな時間を笑いに変えてくれる声、全ての声がともすればカナシミ展開であったこの状況をオモシロ展開へと導いてくれた。

 

3つ目の想定外としてインスタの投稿に対するいいねが激増した。ワタナベ家では記録のためにほとんど毎日の晩御飯を写真に収め投稿している。今回もライブ配信が終わって例に漏れず餃子を含めた食卓の様子を投稿したが、なんと普段の晩御飯投稿の約2倍のいいねが付いた。一つの大きい理由は普段スナップショットとしての機能しか果たしていない投稿(=出来上がりだけ共有)に出来上がりに至るまでの紆余曲折も加えること(=プロセスも共有)で物語性が生まれたことにあろうと踏んでいる。普段であれば「美味しそうだね」「いつも愛妻の手作り飯にありつけて幸せですね」のいいねしか獲得できなかったところを今回は「あの配信してた餃子、結局できたんだ!良かったね!」「失敗しそうな雰囲気だったけど案外美味しそうじゃん!」等の普段は生じえなかったいいねも拾えたようだ。

 

今働くオフィスには40代でインスタグラマーの女性がいる。彼女は趣味でヨガの先生をやっておりその様子をストーリーに逐一投稿している。自分の感覚では一つも違和感のない行為だが同世代の人に言わせてみると「自分のプライベートを世界に晒すなんてどういう感覚なんだろう、考えられない」ことらしい。今回のようにちょっとかじってみただけで面白い体験や発見があると思うと食べず嫌いせず新しいことにはひたすら足を踏み入れ続けれる人でありたいなと改めて意を決する。ワタナベがyoutuberになる日も遠くないかもしれない。

期待操作

僕「そうだ、今夜映画観よっか」

妻「うん!」

 

朝家を出る直前に半ば思いつきで提案したところ思いの外勢いよく返事をしてきた妻の顔には満面の笑みが浮かんでいた。まるで夜の映画を楽しみにしていたら今日1日をウキウキして過ごせると言わんばかりの輝かしい笑顔だった。そしてそんな風に妻が思ってくれてるといいなーと朝見た笑顔を思い浮かべながらまた僕も1日仕事を頑張れるのであった。完

 

~~ここまで妄想、ここから冷静~~

 

というドラマみたいなことってあったら嬉しいじゃないですか。あったっちゃあったんですけど。

一応冒頭の妄想は妄想と言いながらも自分の頭の中では事実だ。確かにこの会話は実際の出来事だったし、確かにその時の妻の顔は満面の笑みに見えた。そしてその笑顔が「今日1日ウキウキして過ごせるよ!」と言っているようにも見えた。しかしこの辺りから妄想の支配する部分が大きくなることは皆さんの目にも明らかだろう。彼女の顔がそう言っているように「見えた」のは紛れもなく自分がそう言って欲しいと「思った」からに他ならない。僕自身の願望が僕の脳から目を飛び出して彼女の顔面にマスクのように覆いかぶさり、そのマスクがたった今通って来た道をそのまま逆流して僕の目を通り脳に届く頃にはこのどうしようもない脳みそは一瞬前の出来事すら忘れ去ってしまっている。自分から放たれた願望の跳ね返りであることにも気付かずあたかも純粋な外部刺激であるかのように受け取り結果的にワタナベは小躍りする。挙げ句の果てに1日のエネルギーがこの妄想に端を欲して供給されるのだからつくづく目出度い動物だ。

せっかく本人が隣にいるので答え合わせをしてみよう。

 

「昨日うん!て言ったときどんな気持ちだった?」

「覚えてない」

 

グッドアンサーだ。この後もう少し掘ってみても「普通に嬉しかった(棒読み)」という返事が返ってくるばかりで遂には「今日1日ウキウキして過ごせる!とか思った?」という48グループ握手会常連な太客顔負けの粘着系質問も投げてみたが「え?どういうこと?」と一蹴。握手会に来たつもりがSMクラブへ迷い込んでしまったようだ。とにかく幾分かの痛手を負いながらも自分の妄想は本当に妄想だったという証明が完了した。肉を切らせて骨を絶ってやったぞ世の中のドMな同志たちよ。

 

~~ここまでキモ話、ここからエエ話~~

 

幼少期、自分が熱を出して寝込んでいるとき父から投げかけられた一言が強烈に記憶として刻まれている。

「治ったら何が食べたい?」

自分がそれに何と答えたかすら覚えていないが、とにかくこの一言に救われたことだけが感覚として頭に残っている。10歳かそこらの少年が高熱にうなされている、そもそも会話するのもしんどいような状態だ。心配してもらっていると分かっていながらも熱はどう?夜ご飯食べれそう?りんごぐらいなら大丈夫そう?と聞かれその度にウーンと唸り声を上げることすら苦痛だった。話しかけるんだったら自分の状態を少しでもラクにしてくれる言葉を投げかけてくれ、そうでないなら放っておいてくれという極めて身勝手な気持ちになったことをよく覚えている。そんな中仕事の合間に家に寄ってくれた父が自分の枕元へ来るなり放った一言が「治ったら何が食べたい?」だった。瞬間、一時的ではあるが意識が熱に侵されている自分の体を離れ妄想の世界に生きる健康体な自分へと憑依した。もう一人の自分はもうもうと立ち上る煙を前に威勢良く肉をかき込んでいた。

 

「焼肉」

「焼肉か。分かった。じゃあ治ったら行こう。それじゃおやすみ」

 

そう言って父は仕事に戻っていった。一瞬でも心が前向きになり体もラクになるという魔法を体験した僕はなんつーすげえ質問なんだと幼心に感銘を受けた。(そして書きながら思い出したが僕の答えは確かに焼肉だった。追体験は海馬の錆びた部分に油を差してくれるようだ。)このことが脳裏に焼き付いているため結婚生活が始まってからはたまに妻が体調を崩すと「治ったら何が食べたい?」と聞いたりしている。自分のできる数少ない手助けだと思って。

 

~~ここまで出来事、ここからまとめ~~

 

今を頑張るためのレバーが、妄想中の未来に設置してあるというケースは珍しいことではないだろう。さらに冒頭の妄想に関しては、日中仕事を頑張る自分は「過去の」妻の笑顔に駆り立てられている節もあれば「今この瞬間」妻が楽しみに待っているだろうという妄想によって火が付いている節すらある。共通しているのはいずれのレバーも自らの妄想が生み出した虚無であるということだ。妄想はときに人を極端へと走らせることもあるが(それこそ48グループの太客のように)、上手に付き合いさえすれば今この瞬間を輝かしいひとときに昇華してくれる最高のパートナーでもある。

半年後の旅行だろうと、来週の焼肉だろうと、今夜の映画だろうと、もしくはもっと実態のない虚構だろうと、自分のレバーがどういう場所に潜んでいるか掘り進めると同時に、できれば周りの人のレバーをひょいと引いてあげ続けるのが幸せな人生だろう。

 

〜〜ここまで女性向け、ここから男性向け〜〜

 

実態のない虚構がなんのことだかイマイチピンとこない諸君のために「着衣巨乳」という素敵な例を差し上げよう。秘密のベールに閉ざされたたわわな膨らみに多くの男性が心揺さぶられることは2chに寄せられる「エッッッッッッッ」「ふーん、エッチじゃん」等の多数コメントからも明らかだ。そもそもこのジャンル名が物語るように彼らは、我々は、この聖域において衣服の奥を暴きたい訳ではない。暴いたところで「なんか違う」「さっきの方が良かった」と白けるのが関の山だ。楽しみは妄想の中にこそ、「この奥にとんでもないものが潜んでいるぞ」という期待の中にこそ、眠っているのだ。しかし実際に潜んでいようがいまいが、そこに辿り着いてしまった途端に先程までのトキメキは雲散霧消してしまう。これこそ実態のない虚構そのものであり、そしてそれに駆り立てられる男どもの健気な姿を垣間見るまたとない観察現場なのだ。