1時間後の異世界

久しぶりに旅行へ出た。旅行といっても日帰りの旅であること、片道たかだか1時間程度のドライブであることを踏まえると「お出掛け」という表現の方がしっくりくるかもしれない。いま住むこの国は国土面積が四国とほとんど同じというコンパクトさであるが故に車で簡単に隅々を訪れることができる一方で国の指定公園が100近くも存在し広大な自然、何千年前の遺跡、聖書の舞台となった地など観光には事欠かないため昨春の引越し以来毎週末のようにどこかへ車を飛ばして出かけていた。早々に国中の目ぼしい場所は踏破してしまったことと冬に入り雨がちな天気が増えたことにより最近は出不精の気が増していたが、今回ひょんな事から久しぶりかつ新たな土地への旅が実現した。

 

行き先はパレスチナ

 

おっと早速「お出掛け」という表現に陰りが伺えてきた。「潜入」と言った方が良いだろうか。この投稿を潜入レポと呼ぼうが旅行記と呼ぼうがお出掛け日記と呼ぼうがその命名権は読者の皆さんにお譲りするが、とにかく今日1日の出来事を記したい。今回の目的地はヘブロンパレスチナ内の数ある都市の中でも特に複雑な事情を抱えた場所だ。

 

パレスチナ地区に入るのは存外簡単だ。適当に車を転がしていたら気付かぬ内にパレスチナにいたということがこの数ヶ月の間に何度かあったが、そんなことが起こっても余程の事態でもない限りさしたる問題には繋がらない。自分がうっかり入れてしまうような場所は総じてのどかな風景が広がるばかりなのだ。一方でガッチリと塀とゲートで管理され「ひょいと入る」という訳にもいかない場所もあるが、そのようなボーダーであっても日本人である限り二言三言のキャッチボールですんなりと出入りさせてもらえる。ボーダーを跨いでしまった後の留意事項と言えばボッタクリに注意、ウザい押し付け販売に注意、アグレッシブ物乞いに注意、といったアラブ諸国もしくは途上国に共通することばかりだ。過激なイスラエルアンチから悪さをされるリスクを回避するためイスラエルナンバーを掲げた車をどこか安全な場所に停める必要だけが残るが、それ以外に求められる特別な注意はない(政治的緊張度合いに左右されるので正確には時期による)。ミサイル注意とは決して言われないし、銃に注意という警告はむしろアメリカ滞在者に向けて発した方がまだ意味あるだろうという感じだ。もちろんガザなどを含むごく一部のドンパチ地域では話が別だが、そういった地域は軍によるガチガチの管理下にあるためそもそも自分のようなハナタレ小僧は近づくことすら許されない。

 

実際今までベツレヘム(キリストが生まれた場所)やジェリコ(キリストが悪魔から誘惑を受けた場所)といったパレスチナの町に足を運ぶことが何度かあったが、それはひとえにそういう地域の情報を入手できたからだ。聖書に所縁のある場所は総じて巡礼地・観光地として機能しておりその分情報も手に入れやすい。反対に情報がなければ安全かどうか以前に何を見たいかということすら知ることができずそもそも旅行先の候補としてあげることができない。そういう訳で我が家から車でたった1時間そこらの町が今まで未開の地として残っていたのだが、今回この町がめっちゃ興味深かったという情報と共に現地ガイドを紹介してもらうに至ったのでしばし荒野を走って遠縁なご近所へと向かった。

 

ヘブロンの複雑さはイスラエル人とパレスチナ人の入り乱れ方にある。地図でこのちっぽけな国を見てみると点線ではあるがイスラエルパレスチナの間に境がひかれておりここからこっちはイスラエル人の場所、ここからこっちはパレスチナ人の場所と区切られている。しかし唯一ヘブロンだけは空中から眺めていても両者の境目を把握することができない(google map上ではパレスチナ領に見えるが実際は一定数のイスラエル人も住んでいる)。ある一角ではイスラエル人とパレスチナ人の家が交互に並んでいたり、別の一角では一階部分がパレスチナ人・二階部分がイスラエル人の居住区となっていたり、とにかく両者が入り乱れに乱れている。ヘブロンという町に限っては両者は仲良しなのだろうか?残念ながら違う。珍しく写真を使ってお話ししよう。

 

f:id:liquorshopshin:20190209052856j:plain

ヘブロン内マーケットにて

これはヘブロン内の中心的なマーケットから空を見上げるようにして撮った写真だ。ご覧の通り一階屋根の部分に金網が敷き詰められているが、この金網を境目として一階部分がパレスチナ人、二階より上がイスラエル人の居住区になっている。写真の金網にはゴミのようなものが無造作に引っ掛かっていることが目に取れるがこれは他でもなく上の住人が下の住人に向けて投げ捨てたものだ。そもそもこの金網は階上からの物理攻撃を防ぐために張り巡らされている。二階の住人はゴミ、石、水、そしてときには塩酸をも階下に投げ入れるという方法で嫌がらせに熱を入れているらしい。なんてこった。ツアーの冒頭からあんぐりと開いた口が閉じなくなった自分にガイドのアブダラが一言「大丈夫、ここの事情は複雑すぎて消化には誰しも時間がかかるから」。

 

少なくとも数十年前のあるタイミングにおいてはパレスチナ人が住んでいたこのエリアにイスラエル人が徐々に押し寄せ、パレスチナ人の家屋の上部に勝手に家を建てては階下の住人に物を投げる等の嫌がらせを始めたというのがここ数十年の出来事だ。「元々誰が住んでたか」議論は寄って立つ歴史記述によって異なるので一概にどうというのは不可能だが、少なくとも階上に住む彼らと階下に住む彼らはお互いにここが自分の場所だと言い合っている。そして階上の住人からの嫌がらせやイスラエル軍の措置によって階下の住人は徐々にその住居を去っているというのが最近の事情だ。

 

f:id:liquorshopshin:20190209052834j:plain

一階の住人は徐々に住処を放棄している


自分は歴史についても宗教についても絶望的なほど無知であるためその点について背伸びをして御託を並べるつもりは一切ない。ただ心に引っかかってやまなかったのが一人の人間同士の関係性だ。どんな正当化をしたら赤の他人に塩酸を振りかけて平気な気分でいられるというのだろう。百歩譲って遠い祖先が迫害を受けていたとしても、どうして目の前の罪ない人に石を投げつけて涼しい顔していられるのだろう。パレスチナ人であるアブダラのこんなセリフが印象的だった。

 

「あまり大きな声では言えないんだけどさ、正直彼らのことも理解できるんだよね。小さい頃からそういう教育を受けてたら誰だってパレスチナ人が悪者だと信じて疑わなくなるよ。」

 

ちなみにイスラエル人といっても内訳は様々で、全員がユダヤ人というわけでもない。さらにユダヤ人の中でも信仰の度合いによって生活スタイルやファッションが異なり、中でもとりわけ信心深い人たちのことを超正統派と呼ぶ。ヘブロン内に住むイスラエル人はもれなくユダヤ人、その中でも超正統派の人々だ。彼らの仕事は死ぬまで聖書を学ぶこと。物心ついた頃から聖書を開き、ユダヤ人の迫害の歴史をこれでもかと叩き込まれる。躊躇いなく二階から物を投げるという芸当はそういう人たちだからこそ出来てしまうという側面もある。

 

ある討論番組で2chの開設者ひろゆきが繰り広げた問答が印象に残っている。テーマは日韓問題、話し相手は嫌韓の日本人だった。韓国の何が嫌いなの?という質問に対して歯切れの悪い回答をする相手にひろゆきが詰め寄った。「韓国人の知り合いはいる?いないの?じゃあ嫌いな韓国人がいるわけじゃないんだ。だったら韓国政府が嫌いなの?軍が嫌いなの?」ひろゆきの親切なリードも叶わず彼が韓国の何に対して嫌悪感を抱いているのかシンプルな説明に落とし込むことはできなかった。側から見ると嫌韓な彼は幻想に対して牙を向けているようにも見えた。

 

世界的ベストセラーであるサピエンス全史において著者ハラリは「人間は虚構を信じて団結する力があったから種として発展できた」と言っている。実態のないものの価値を理解し享受できことはこの上なく素晴らしいことだと感じるが、一方で虚構に縛られた結果目の前の人に危害を加えていては本末転倒だとも感じる。ヘブロンには中心部に一本の主要道があるが、かつてパレスチナ人に重宝されていたその道は今やイスラエル軍に管理されておりパレスチナ人は入ることすら許されない。日本人の自分たちは中を見ることができるためその入り口まで送ってくれたアブダラは「どうやら俺はテロリストらしいからここへは入れない、反対のゲートで落ち合おう」と寂しそうに言って別れた。

 

f:id:liquorshopshin:20190209052924j:plain

イスラエル軍に管理されているヘブロン主要道


親の仇という概念は分からない話でもない。自分や自分の周りの大切な人たちが傷ついたら、その害をもたらした根源に復讐を晴らしたいという気持ちを起こすのが人という生き物だろう。じゃあそれが祖母の代だったら?曽祖母の代だったら?その時悪さを犯した当事者がもう誰もいなくなっていたら?自分から遠くなるにつれて風化し、虚構に近づく。復讐の気持ちを保持することが悪いわけではないのかもしれないが、虚構に囚われる余り目の前の無害な人間を傷付けるのは悪というのが自分の感覚だ。過去のことは水に流そうと言いたいのではない。暗闇に向かってシャドーボクシングをするのではなく、直すべきシステムを見極めてテコ入れしなよと叫びたいのだ。目の前の人に石を投げ酸をかけるのではなく、責めるべきはきっともっと他にあるはずだ。

 

「ちょっと変な質問かもしれないけどよかったら教えて。アブダラはイスラエル人の友達はいる?」

答えは残念ながらノー。検問で執拗にハラスメントをしてくる軍人としか話したことがないとのこと。そんな彼ですら「正直彼らのことは理解できる」と言っている。どうか答えのないイタチごっこに囚われず、ただシンプルに目の前の人のことを思いやれるアブダラのような人が増えてくれればと願うばかりだった。そして自分が起こせる行動の一つとして、取り急ぎこうしてここに今日の出来事を記しておく。

 

f:id:liquorshopshin:20190209054711j:plain

パレスチナ側から見たイスラエル軍管理地区

f:id:liquorshopshin:20190209052912j:plain

イスラエル軍管理地区内。“THIS LAND WAS STOLEN BY ARABS FOLLOWING THE MURDER OF 67 HEBRON JEWS IN1929” の文字。いつ誰が何をしたかなんて挙げてもキリがない。