ステラおばさんと室伏広治のハーフ

大正義アマゾンプライム先輩様様の日本での活躍ぶりと言ったらそれはもうThe大車輪と喩えるに相応しく、その貢献度をタイヤ径で模るならばさながらみなとみらいの観覧車級を想像して頂いて差し支えない。消耗品が切れればamazon。生活必需品もamazon。プレゼントもamazon。街に繰り出して現物を確認しては帰宅即amazon。ときに家具・家電ですらamazon。テレビをつければprime video。ありがとうジェフ。ありがとうベゾス。

 

 

そんなアマゾンパイセンがこの地では途端に非力。あまりに無力。

モノを購入しようものなら他国からのオールザウェーお取り寄せが発生。プライムビデオを見ようものならすかさず「このビデオは地理的なライセンスの制限により使用できません。」と来る。ほぼ全てのコンテンツがエリア対象外。今や見れるのは両手で数えられるほどのローカル番組だけ。喉カラッカラなのに目の前にはコップ一杯の海水があるのみ。手を伸ばす気になれない。

 

輪をかけて喉を渇かすのが、ホーム画面には日本と同様のコンテンツが並ぶという仕打ち。トップには堂々とドキュメンタル5が躍り出てくる。燦然と輝く松本人志に釣られ、胸を躍らせて再生開始ボタンまでたどり着いた矢先、その奥は決まって「このビデオは地理的なライセンスの制限により使用できません。」の一点張り。あれもこれもエリア外のオンパレード。じゃあ何なら見れるんだと躍起になって探し回ると「海外で視聴可能な作品」欄があるではないか。さすがアマゾンパイセン。まだ僕のリスペクトは褪せてないぞ喉カラカラだよポチー。海水だけが残る。血も涙もないのかジェフベゾス。ロケットを前に倒れるダンブルドアの気分。

 

 

そしてついに手を出すはNetflix大先生。遅かれ早かれ手を出すことになるだろうとは思いつつも、これは予想以上に早かれof早かれだ。Netflix沼に足を突っ込んだからには真っ先に手が伸びてしまうのがBlack Mirror。本日の主役。

 

Black MirrorはNetflix大先生が誇るオリジナルムービーだ。その説明文によると

” This sci-fi anthology series explores a twisted, high-tech near-future where humanity's greatest innovations and darkest instincts collide.”、つまり「超イカしてイカれた奴らを紹介するぜ」ってことだ。21世紀を生き残らんとする若者として、見逃してはおけない代物だ。ネフリ先生にログインするや否や第一話を見始める。すぐさま大変な問題に気付く。怖い。これえらい怖い。

 

そいえば以前お試しで見た一話も確かにブラッディーでエッチーなディストピアだったなあと淡い記憶が蘇りつつ、とにかく全部怖いし全部汚い。暴言暴力セックスドラッグ発狂サイコパス血ゲロ尿全てがここに。でも面白い。斥力と引力による圧倒的板挟みがここに。

基本的にはあらゆる映画ジャンル好き但しサスペンスは勇気を振り絞ってギリオッケーホラーはパーティー気分で友達と叫びながら垂れ流すデジタルサイネージみたいなもんムカデ人間は死ねなタイプの自分にとってアウト寄りのアウトな怖さ。一人で見れないよ怖いよおおおおでも面白いよおおおおおお。

 

同時に自然と思いを馳せられるは愛妻。TSUTAYAのホラーコーナーに迷い込み禍々しいパッケージに囲まれただけで目と口をかっぴらいてフリーズしてしまう我が愛妻には刺激が強すぎる。何が何でも自分一人で見切らねばならない。あと10日で嫁が来る。急いで見切らねばならない。ああでも怖い。

 

全19話。毎日帰宅しては流れるようにテレビに手を伸ばし一気見した。怖いよおおお面白いよおおお。

弊害はいくつかある。あろうことかf**kとs**tが口癖になりかけてるし、普段睡眠中の記憶は皆無である自分が、夢の中で大量殺人するようになった。

 

そもそも怖い映画に対する自分の恐れ様と言ったら筋金入りで幼少期にはトトロのぬいぐるみの陰からトトロを見ていたぐらいだ。トトロloveマジ卍とかいう話ではなく、トトロすら怖くて真っすぐ見れなかったのだ。メイちゃんがトウモコロシを両手に抱え、路頭に迷って号泣する姿はとても凝視に堪えず、ぬいぐるみの陰から覗き込むことが精一杯だった。ボーダーラインはドラえもん大丈夫ポケモン大丈夫(ココ!)トトロ怖いトイストーリー怖いだ。とにかく視界を遮るものなしの怖い映画はご法度だった。

 

今なお根付くその習慣は、顔面の一部でも隠すものなしにロクに恐怖映像をのぞき込ませてはくれない。にもかかわらずこの家には顔面の隠し場所がない。一大事だ。顔面ダイレクト恐怖映像ボレーはヘスケスの南ア戦最終トライに匹敵する衝撃だ。

仕方なしに瞼という最後の防壁に頼る。坂本龍馬の如く、半目で画面を眺める。とてもじゃないが防御力は心許ないし顔面にあらぬ疲労がかかるし何より滑稽だが、背に腹は代えられない。今の僕は時計仕掛けのオレンジ刑でイチコロだ。

 

 

翻ってBlack Mirror、時代設定は近未来、題材はハイテク。今我々が住んでる世界との差異を際立たせているかと思いきや、印象としてはそうとも限らない。テクノロジーの進化はあくまでメッセージを伝える手段であり主題は人間の普遍性に置かれているように感じた。掛からないエンジン、行き止まりの路地、鏡越しのグロ画像などお作法的な演出に助長されつつも、あくまで登場人物の持つ人間性は一貫して古き良き映画に共通するものだった。

 

総計19時間9分のうち体感19時間は胸糞シーンを半目で眺めないといけないのだがこの胸糞、元を辿れば結局どれも登場人物の不届きに端を発する出来事なのだ。不注意、無配慮、傍若無人、コミュニケーション不足、困ったら行きつく先は怒鳴り合い果ては暴力。どうして行かない方が良いのに行っちゃうの。どうしてやらない方が良いのにやっちゃうの。どうして言った方が良いのに言わないの。頼むからもう少し物腰柔らかに生きてくれ。押すだけでなくときに引いてくれ。

 

そんな半目の19時間を過ごしながら、何を隠そう自分も押せ押せ要素を多分に孕む男なので完全にブーメランを投げまくってる気分だ。「怖いのはテクノロジーではなくそれを使う人ですね」とか無難にそっ閉じするつもりがとんだバックファイアーが降りかかった。こうして文字に起こさずとも日々気付かぬ内にブーメランを発射し続けてると思うと胸が痛む。

せめて自害に至らぬようクッキーでできたブーメランを投げたい。投げかけた先の人にきちんと咀嚼してもらえるよう美味しいクッキーを焼きたい。もし回れ右して自分に振ってきても寧ろウマウマラッキーとなるような名パティシエになりたい。ついでに投げ上手にもなりたい。定まった方向へ遠くまで飛ばせる名投手になりたい。

ステラおばさんと室伏広治のハーフになりたい。